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朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。

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「大阪の街の誇り、みんなの人気者!」ぼくの愛するJリーグクラブと、ともに過ごした三〇年。それは何気ない朝の目覚めからはじまった。ジェットコースターと呼ばれるセレッソ大阪をサポート… もっと読む
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#サポーター

サポーター・アイデンティティ

 線路に沿って道なりに歩くと正面にヨドコウ桜スタジアムのメインスタンドが見えてきた。日本…

cerebaka
5か月前
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エピローグ 二〇二一年一一月

 長い長い年月を耐え抜いた末にようやくぼくは大阪の地へ向かうことになった。実に一年と数ヶ…

cerebaka
5か月前
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第三三節 ”点”と”線”

 二〇一七年というセレッソ大阪にとって重要な一年を語る前に、言っておかなければならないこ…

cerebaka
5か月前
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第三二節 たかが二年されど二年

 REAL OSAKA ULTRAS(レアル・オオサカ・ウルトラス)。真の大阪は誰かと聞…

cerebaka
5か月前
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第三一節 クラブは変わろうとも

 ちょうど二〇周年という節目の年をセレッソ大阪は迎えた。AFCチャンピオンズリーグへの二…

cerebaka
6か月前
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第五章 第二九節 半径九・一五メートルと悪夢の三年間

 父親が死んだ。  ちょっとした風邪の症状で緊急入院したあと意識がなくなったと母親から連…

cerebaka
6か月前
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第二八節 東日本大震災

二〇一一年二月二六日土曜日五時一〇分。  二〇年経たずしてアジアとの戦いに挑めるとぼくは想像すらしていなかった。昨年のJ1リーグ三位という成績は、はたして実力なのか、それともフロックと呼ばなきゃならないのか。判断することなどぼくには到底不可能だった。  ただひとつ言えるのは、結果としてこうなったという事実だけがそこにあることだ。穿った見方をせず素直に受け入れていくのも人にとっての成長への大事な要素だ(プロレスで言ったら若手レスラーをタイトルマッチに挑戦させることに近いのかも

第二七節 おじさん、引退を考える

 ぼくはずっとナラティブ・アプローチで人生を歩いてきた気がする。何章もの言葉たちがつらな…

cerebaka
6か月前
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第二六節 POWER AND THE GLORY今昔物語

 例のクラブスタッフから『ミーティングをしたい』との電話連絡が入ったのは今からちょうど二…

cerebaka
6か月前
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第二四節 もうひとつの大阪ダービー(後編)

 むかしむかし、あるところに青と黒の姿をした鬼がいました。この鬼。自分は弱いくせに自分よ…

cerebaka
6か月前
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第二三節 もうひとつの大阪ダービー(前編)

 スルガ銀行チャンピオンシップが開催される運びとなった。Jリーグカップ王者と南米のコパ・…

cerebaka
6か月前
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第二二節 ユズリハ

 様々な思いが交錯しながらも、それでも最終的にぼくは東京に住処を変える決意をした。花の都…

cerebaka
7か月前
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第四章 第二一節 ウロボロスの輪

 ヤンマーディーゼルサッカー部からセレッソ大阪と名称が変わり、Jリーグを目指してからはや…

cerebaka
7か月前
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第二〇節 日韓ワールドカップなのに

 まあ、ひとことで表すなら悲願だ。  一八七二年(一八七三年とも言えるらしい)に初めてサッカーが日本に伝わって以来(こうするとツッコミも入りそうだから書いておくと蹴鞠をサッカーと呼ぶかどうかはあなた次第だ)、世界最大の祭典を国内で開催するのはまさしく悲願なのだと思う。  我が国そして日本サッカー界にとって二〇〇二年日韓ワールドカップは重要なイベントになった。  やっぱり、あの、辱められたかのような国立の夜があってこその結果だとぼくは思いたい。若い頃の一瞬の痛みなんて、成長への