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アーリング・カッゲ『静寂とは』(辰巳出版・平成31年)

みなさま、こんにちは。
今日は珍しく海外の方の書籍です。

著者Erling Kagge(アーリング・カッゲ)氏は、世界で初めて三極点(南極点、北極点、エベレスト山頂)に到達した世界的に有名なノルウェーの冒険家とのことです。1963年生まれ。
なお、本書の原タイトルは『SILENCE IN THE AGE OF NOISE』です。

静けさとは何か。それはどこにあるのか。それがなぜいま重要なのか。

『静寂とは』p10

本書は、この命題の答えを見出すための”33の試み”が綴られたエッセイです。

さて、今日はエッセイ(essay)という言葉について少し考えてみようと思います。

まず、エッセイ(essay)を日本語に置き換えようと思うと、随想や随筆という言葉が思い浮かびます。では、随想と随筆はどのように違うのでしょうか…?私見を記せば以下のようになります。

随想:西洋的な風合いの言葉。ペンを握る前にしっかりと想を練るイメージ。時に宗教的な色彩を帯びる。私はシレジウス『瞑想詩集』(ドイツ・バロック時代を代表する神秘主義的宗教詩人)などを思い浮かべます。

随筆:日本的な風合いの言葉。考えるよりも先に、流れるように筆が動くイメージ。清少納言『枕草子』や吉田兼好『徒然草』など。

尤も、私の語感(言葉から受ける主観的な印象)ですので、何か裏付けがあるものではありません。人は皆違った語感を持っています。辞書的な意味とはまた少し違ったものです。生きていく中で自分にとっての言葉の”感じ”が醸成されていくのは不思議なことですし、面白いことだと思います。語感に正解・不正解はないと思います。

エッセイ(essay)に話を戻しましょう。エッセイのはじまりは、フランスの哲学者モンテーニュを挙げておけばよいだろうと思っていたのですが…
調べてみると古代ギリシアのテオプラストスの著作『人さまざま』を起源とするという説もあるようです。

たしかに、『人さまざま』は「お節介」や「横柄」といったテーマで人間観察が綴られており、エッセイと言えるかもしれません。ちなみに、テオプラストスはアリストテレスの愛弟子です。
『人さまざま』は岩波文庫で読むことができます。150頁ほどの小冊子なので気軽に読めますね。そこそこ面白いです。

余談の余談…北杜夫さんの『マンボウ人間博物館』もおすすめです。テオフラストス『人さまざま』を踏まえて、阿呆、ケチ、強情、尊大、無知…などなどさまざまな人間模様を描き出します。ユーモアあふれる一冊です。私も小中学生のころに読んで大笑いしました。こちらは面白いです。

エッセイという言葉について縷々述べてまいりましたが、結局ここで注目していただきたいのは次の一点です。すなわち、エッセイ(essay)の語源には「試みる」という説がある、ということ。
この記事の冒頭で私が「本書は、この命題の答えを見出すための”33の試み”が綴られたエッセイです。」と記したのも、やはり本書はカッゲ氏の思索の”試み”なのだという視点を共有したかったからです。

「今日・・・がありました」というだけではessayにはならない。それは単なる日記でしょう。書店に行けばエッセイのコーナーがあるけれど、ほんとうにessayらしいエッセイは一体どの程度あるのだろう…とふと思います。(日記のようなエッセイも好きですが)

皆さまは福永武彦の『愛の試み』というessayをご存知でしょうか。福永は『草の花』や『忘却の河』などが有名ですが、『愛の試み』もまた名著です。福永は学習院大学で教鞭を執っていました。

初恋というものは美しいものだ。というのは、物語がすべて過去形によって語られるように、初恋は思い出によって語られるから。そして人がその初めての経験に感動するのは、初恋が本質的に観念的であること、あまりにも観念的であることに基づいていよう。ほのかだとか、甘いとか、夢のようだとかいうのは、愛の現実の苦しみがそこに捨象され、性慾に関する暗い部分が故意に眼をふさがれているからである。記憶の醇化じゅんか作用によって、経験の中の不愉快な部分は忘却の中に沈み、ただその美しさ、――多少の悲しさや苦しさを含めた美しさのみが、誇張される。しかし青春のいとぐちで、初めて愛を経験し、全力をあげてこの愛の意味を探ろうとしている者にとって、それは単に仄かだとか、甘いとか言ってはいられないだろう。そこにはもっと重要な意味、人間形成の最初の足がかりという意味があるだろう。従って、初恋は、渦中にある者の場合と、それを回想する者の場合とでは、同日の論ではない。

『愛の試み』p52

「初恋」という章段の最初のパラグラフを引いてみました。本書では恋愛と孤独について著者が真摯に考え抜いた思索の跡を辿たどることができます。稀に見る上質なessayだと思います。

巻末に竹西寛子が解説文を寄せています。竹西も私にとって思い入れのある人で、『式子内親王・永福門院』『古語に聞く』『往還の記:日本の古典に思う』などを学生時代に熱心に読んでおりました。


さて、この記事では敢えて『静寂とは』の内容には触れないでおこうと思っています。抜粋という形式ではなかなか本書の魅力が伝わらないと考えるためです。
その代わりに目次からおもしろそうな言葉を引いておきます。ピンとくるものがあったらぜひ一度本書をお手に取ってみてください。

なぜひとは沈黙を恐れるのか
極限の地で感じる静寂
内なる静けさ
何もしないでいることのむずかしさ
視覚的な沈黙
ヴィトゲンシュタインの静寂について
音楽のなかの休符の効果
騒がしい思考のカオスから逃れるには
パートナーとのあいだに必要な静寂
無言で見つめあうことの効能

『静寂とは』目次p4-p6

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