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#10 ヤリモク男子、撃沈する。|マッチングアプリ放浪記

強引に握った遥の手は温かかった。

「じゃあ次行こっか」

優しく話しかけた。僕は遊び人としての自分を貫いて、ホテルに誘うと決めていた。


すると遥は作り笑いを浮かばせて、「はぁ、がっかりだよ」と言い放った。まるで下北沢の冴えない劇団員のような口調だった。

彼女は僕の芯まで冷え切った手を振り解こうとしたが、僕はまたすぐに握り返した。


「俺、遥ともっと一緒にいたいな。正直、遥と話すのが純粋に楽しかったんだ」本心を言った。言ってしまった。

だが、本心とはこのような形では言ってはいけない。本心とは、本来誠実な態度で言うべきなのだ。僕は人として、自分を疑った。

がしかし、ここまで来ては、後には引けなかった。


「ねえ遥、俺ね、遥と行きたいところがあるんだ。俺についてきてよ」

そうして僕は彼女のやけに熱を帯びた手を握り直して、道玄坂を上がった。二人の手の温かさは対極を示していて、彼女の炬燵のように温かい手のひらは、僕の氷のように冷たい手を溶かした。

彼女は怪しみながら僕を睨んでいたが、その顔にはまだ不自然な笑みが浮かんでいた。

きっと無下に断るのが苦手な性格なのだろう。優しいのか、ただのんびりした性格なのか、彼女は結局、ホテルの目の前まで僕についてきた。

「ここで飲み直そう?」

「・・・・・・いや、私ホテルには行かないよ?」

彼女は僕の顔も見ずに、すぐに引き返して、今度は逆に僕の手を強引に引いて、渋谷駅の方へと歩き出した。

「詠世くん、私は詠世くんを否定しないよ。でもね、私と君は派閥が違うの。性愛における派閥がね」

遥はブツブツとそんなことを言いながら、僕の手を引っ張って、僕の斜め前を歩いていた。(てかなんでまだ手を繋いでんだ?)

僕はスクランブル交差点の近くのL'OCCITANEの前の木の下で立ち止まって、「少し話そう」と言って遥と植木に腰掛けた。

植木の前に腰をかけると、目の前には渋谷を行き交う大勢の人が歩いたり立ち止まったりしていた。


「ねえ、やっぱり俺と行くのが怖い?」

「怖くはないよ」

「じゃあ分かった。もし俺が遥を襲おうとしたら、この水を俺の頭にぶっかけていいよ」

「分かった」

「まじ?」

おもむろにペットボトルのキャップを開け、僕の頭へと持っていった。

「・・・・・・いや、お姉さん、ちょっと待て、ちょっと待て、今じゃない笑」

「あ、違った?笑」

「絶対違うと思う」(いや、ある意味彼女の行為は妥当かもしれない。僕みたいな人間、水を頭からかけても汚いままだ。うんこは洗ってもうんこのまま。僕の妹の口癖だ)



「あのね詠世くん、私は詠世くんのやっていることは否定しないよ。世の中にはそういう関係性を良しとする人がたくさんいるから。詠世くんは、そういうタイプ。でもね、私はそういうタイプじゃないの。どっちが良いとか、どっちが悪いとかじゃないの。ただ、私と詠世くんは派閥的に相容れないの」

彼女が今日はじめて理屈っぽいことを言った。理屈で話をするのは得策ではないと思った。僕はまだ彼女をホテルに連れ込むことを諦めてはいない。変なところで頑固なのだ。

「てか遥、そのピアス綺麗だね。遥は輪郭がシュッとしてるから、その形のピアスがすごく似合うよ。可愛い」

「はぁ…やれやれ」

やれやれ、と言う女の子。それが遥だ。


「私はね、もっとちゃんと詠世くんと話したかったよ。もっと普通に詠世くんのこと知りたかった。すごく残念」


悲しそうな顔をした。彼女は遠くを見ていた。そのとき初めて、僕は自分の言動を後悔した。

僕は遥の肩に回していた手をそっと下ろした。

もう、これ以上誘うのをやめた。


重たい時間が僕らの頭上を通り過ぎて、雑踏の中に消えた。



「ねえ、純粋に知りたいんだけどさ、詠世くんはなんでこんなことをしてるの? 勿体無いよ。それなりにカッコいいんだし、普通に恋愛をすればいいじゃない」

僕はなんでこんなことをしているのだろう。

リラックスして、素の自分で接することができる唯一の女の子。自分が本当の自分らしくいられる人。そんな遥を失ってまで、僕は一体何をやっているんだ。

遥とは、もっともっと丁寧に、もっともっと一緒に時間を過ごしたかったな。僕は心の底から後悔をした。



「・・・・・・ごめん」

「謝ることないよ。私は別に傷ついている訳じゃないから。ただ残念なだけ」

「俺だって、自分がなんでこんなことをしているのか、よくわからないんだ」

「詠世くんは、不器用なの?」

「分からない。ただ、遥ともっと一緒にいたいと思っていたのは本当だよ。こんなに素の自分で話せたのは初めてだったし。遥との会話はすごく素敵な時間だった」


けれど彼女は自分から帰ろうとはしなかった。それが唯一の僕の救いだった。


「今日はごめんね、もう帰ろうか!」

「うん。私、井の頭線だけど詠世くんも井の頭だよね」

「そうだよ。でも俺、このあと寄りたい場所があるから、遥は先に帰って」

「分かった。今日はありがとうね」

「うん。バイバイ!」僕は手を振らずに、さよならの挨拶だけを丁寧にして、渋谷駅に背を向けた。



日はすでに暮れていた。青黒い空に覆われた渋谷で、僕は後悔の海を彷徨った。見知った街であるはずの渋谷が、今日は異世界かのように感じられた。

自分の対人コミュニケーション能力に絶望していた訳ではない、彼女は特別だったんだ。これまでいろんな子と遊んできたし、刹那的な関係を楽しんだりもした。でも遥だけは、もっと別の接し方をすべきだったんだ。


その日、僕は各駅停車の電車に乗って、名前も知らない駅で降りた。

国領・・・という何とも興醒めな名前の駅だ。(国領ユーザーの皆さん、ごめんなさい)

重たい足取りで、近くのマックに入って、チキンクリスプを100円でひとつだけ買って、店を出た。

近くのコインパーキングで、冷たいコンクリートに腰を下ろし、無表情でチキンクリスプを食べた。

この世にこれほどまでに無表情でチキンクリスプを食べられる人間がいるだろうか。おそらく世界中で僕だけだろう。


僕は濁った夜空を見上げて、このままでは一生後悔すると思った。

LINEで遥とのトーク画面を開く。

チキンクリスプを飲み込んで、躊躇せずに電話をかけた。



「・・・もしもし」

スマホの向こう側で遥の声が聞こえた。残酷なまでに優しい声だった。

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