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#8 不思議な彼女に恋をした。でもたぶん、片想い。|マッチングアプリ放浪記

「好きな音楽とかは?」と僕は居酒屋の席で尋ねた。

「うーん。犬」と彼女は言う。

「遥、犬は音楽のジャンルじゃないよ」と困りながらも諭してみる。

「好きな音楽を聞かれると[犬]って答えたくなっちゃうの。そういうことってあるでしょ?」と彼女は言った。


そんな彼女が気になって仕方ない。不本意だけど、好きなのかもしれない。そんな話だ。よかったら読んでいってほしい。



遥とは、10月の上旬に電話をして、楽しかったからそれ以降もLINEを続けていた。すごくほんわかした空気を持っていて、小綺麗な部屋に飾られた観賞用の小さな苔のような女性だ。

普段は女の子と電話をすると、僕は基本聞き手にまわって、彼女たちの仕事の愚痴なり、趣味の話なり、元彼の恨み節なりを「うんうん」と聞いている。これは辛い作業だが、僕が話をたくさん聞くと、女の子たちはすごく喜んでくれる。

しかし、遥は僕の話をたくさん聞こうとしてくれた。僕が何かを質問すると、それにちゃんと答えた上で、「で、詠世くんは?」と聞き返してくれる。

それがなんだか、すごく嬉しかった。すごく嬉しかったんだ。


でも彼女はちょっとおかしい。いや、度を越してオカシイ。


「詠世くんは、趣味なに?」と、電話越しに彼女が尋ねる。

「俺は遥と同じで、写真を撮ることが好きだよ。共通の趣味だね」

「いや、そんなんじゃ共通の趣味とは言えないよ」

「え、なんで?」

「もし2人の趣味が[アルマジロの観察]とかだったら共通の趣味って言えるけど、写真くらいじゃだめだよ」


おいおい、待ってくれ。どういう理屈なんだ。よく分からん。だけれど、なんだか面白い。

彼女は息をするかのように、奇想天外を吐き出す女の子だった。


「てか、最近少しずつ涼しくなってきたね。遥は冬好き?」

「大好きだよ!」と、電話越しで無邪気な声が聞こえる。彼女の声は少しだけこもっていて、温かみがある。冬色をした声だ。

「寒いのは苦手じゃないの?」

「白い息が好きなの」

「…ん?」

「気温が低くなると、息が白くなって見えるでしょ? あれが早く見たいの」

遥がまたもや奇想天外を繰り出してきたから、今回は僕も負けじと詩的なことを言い返してみた。

「確かに冬は情緒があるよね。白い息が糸状に揺蕩って、冷たい空に消え入る感じ。俺も好きだよ」

「うーん。それはちょっとよく分からない」

おいてめぇ、キレるぞ。なんか俺が恥ずかしいこと言った感じになっちゃったじゃねえか。


とまあ、僕はなんだかんだ、そんな平和な会話が楽しくて、そして遥の方もすごく楽しんでくれたらしく、2週間後に会うことになった。


待ち合わせ当日、僕は渋谷の井の頭線改札前のエスカレータ近くで彼女をまっていた。遥は少し変わった子だけど、顔写真はすごく可愛かったし(口元はよく見えなかったけれど)、僕は相変わらず、彼女とのホテルインを最終ゴールに設定した。(自分がヤリモク男子であることは忘れてはいけない)


白いシャツにグレーのニットベストという格好で彼女は現れた。優しい声で「おまたせぇー」と彼女は言った。

「よし、じゃあ行こう。遥は今日行くお店わかってる?」

「わかってるよ! 私がお店案内をしてあげるよっ」と言って、彼女は無邪気にスマホでGoogleマップを開きながら歩き出した。

「私ね、道ちゃんと分かるだよ」と言いながら、彼女はその場で一回転して、よろよろと再び歩き出した。(大丈夫そ?)

「映画館を直進でしょ・・・それで、ロッテリアを左折します。はい、目的地周辺です」

と、カーナビのようなことをぶつぶつ言いながら彼女は店へとたどり着いた。僕はといえば、彼女の言動が面白くて、終始ニコニコしていた。こんなにも素敵な人に、僕はかつて会ったことがあるだろうか。いやない。


そして僕らは、飲食店が詰め込まれた汚いビルのエレベータに乗った。使い古されたエレベータは狭くて、彼女の香りに気付いてしまった。ちゃんと女の子の香りがした。気持ち悪いかもしれないが、僕は高揚した。(うん、ちゃんと僕は気持ち悪いことを言っている)

席について、僕はハイボールを、遥は緑茶ハイを注文した。僕はマスクが大嫌いなものだから、席についてマスクを外した。すると遥は僕の顔をじっと見て、こう言った。

「私がマスクを外して、もしブサイクだったら逃げていいよ。ここの廊下をサササッとね」

「なんだそれ笑 逃げないよ、ちゃんと我慢して飲むよ笑」

「ねえ笑」

そしてドリンクが運ばれてきた。

遥は、上目遣いで僕を見ながらマスクを取った。そんなマスクの取り方をするのは、日本中で彼女くらいだろう。

そして、可愛らしい素敵な口元が、僕に向けられて微笑んでいた。

僕は10秒くらい黙った後、「すごく可愛い」と目を見つめて言った。


彼女との不思議と温かい時間。奇妙な会話に心が安らぐ時間。これほどまでに天使のような彼女が、こんな汚いチェーンの居酒屋に居ていいのだろうか。彼女の何か大切な何かがすり減るのではないかと、心配になってしまうほどだった。

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