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何をもって病気というのか?病気の本質とは、単なる情報にすぎないのではないか

葉が枯れる現象は、植物の病気なのか、それとも植物の正常な営み(健康)なのか、それが今日の問いの出発点です。

というのも、親株から取った茎を土に挿してから、一枚の葉が茶色く変色し枯れ始めました。

もし「枯れる」という現象を病気とみなすならば(通常はそう受け止めがちです)、以下のような考え方が生じるかもしれません
・切り口から病原体が侵入したのかもしれないので、殺菌剤や農薬を与えよう。
・親株が病弱なのかもしれないので、抜いて処分し、新たな健康な個体に植え替えよう。

一方で、この症状を植物自身の表現と捉えた場合、次のような解釈ができます
・現在の葉の状態では、水分の蒸発量が土壌からの吸収量を上回っているため、根を育てるのに十分なエネルギーを確保できません!
・そのため、若葉を優先し、古い葉を枯らすことで、一時的にこの環境に適応します!

植物が生存のために意図的に一部の葉を枯らしているなら、それは植物の正常な営みと言えます。そのように判断した場合、植物の生育環境改善のためのサポートを行います。例えば、
・葉を間引く
・日光を減らす
・温度や湿度を調整する
・風を避ける
といったようなことです。

挿し木から1週間が経過しました。最初は土に挿しただけの茎でしたが、今では引き抜こうとすると抵抗が感じられるので、根が順調に成長しているようです。

植物に限らず、私たち人間も、何かしらの症状が現れたとき、問題や病気と決めつけ、短絡的に化学的(薬)や物理的(手術)処置を選びがちです。そのようなお決まりの処置は大抵の場合、誰かの言いなりであったり、単なる思い込みであることがほとんどです。

そのようなときは、一瞬立ち止まり、この状況は成長段階の一過程ではないだろうかという問いを立て、生育環境や心の状態を最適化することで、改善が得られる方法を合わせて検討したいものですね!

【追記】
更に掘り下げて考えてみると、「病気」という概念自体が意味を持たないことが分かります。全ては、直面した状況をどう解釈するかにかかっています。

そこで、化学的・物理的な処置が速やかな解決策に見える主観的な「症状」を、便宜上「病気」と呼んでいるなら良しとしましょう。その場合、症状が改善することもありますが、副作用が本質的な問題となることがある、ということは言うまでもありません。

ほとんどの症状は客観的な情報として対処すればよく、病気や問題ではない場合も多いです。植物においては、水やりの量や頻度、肥料の与え方、日光の調節などが基本で、私たち人間においては、思考のクセや感情の取り扱い(快の情動を大切にする)、天地自然の理に従った考え方や生活スタイルの実践が確実な改善をもたらすと言えます。

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