見出し画像

性善説に身を委ねた阿武町ーマネジメントは死んだ

前の記事で阿武町の推測だった「会計年度任用職員に任せっきりだったんじゃないか」ってのは見事に外れ、なんとド新人に今回の会計業務をやらせていたようです。

つか、なお悪いわって話なんですが、ともあれ、今回の事件を見るに、普段公務員のリストラ政策を進めた元政治家を批判する人間が、こぞって24歳の青年を叩いてたのを見ると、なんともゲンナリさせられます。
色々と新事実(?)が出てきましたが、ただ一つ、ただ一つだけ明らかなのは、阿武町でも大きなリストラが行われていたということです。

🖥仕組み化が進んでいればまだ良かったが‥

とは言え、私は一概に人員削減そのものが悪かったと言う気は毛頭ありません。
例えば承認プロセスをキチンとシステム化出来ていれば、今回の事件を避けることは出来た可能性があるからです。
自治体にもよりますが、余剰人員を抱えている役所、或いは部門っていうのはありますし、悲しいかな、暇を持て余した職員はグラビアアイドルのサイトを開いてしまうなんて話はSES業界にいると、まぁ聞く話じゃありますよ。役所は多い常駐先の一つだからね。

尤もSESの人間が多く常駐しているようなとこほど仕組み化なんか進んじゃいないんですけどね。
だいたいSESの人間が多く常駐してる時点で人海戦術に頼ってるようなもんなんで、そういうトコってシステム化も進んでません。客のシステム化が進むことで困るのって実はSIerだし・・・。

🗾「日本人なら返すだろう」で慢心してないか?

恐らく報道を見て24歳の若者に立腹した人達は心のどこかでこう思っていたんでしょう。
「日本人なら4630万円は返して当然だろう」と。
まぁコンテンツってのは賢い人の理性に投げかけるより、愚か者の感情に訴えた方がたくさん見て貰えるので、報道の誘導したい(金稼ぎたい)方向性はそうなります。
きっと町長も似たような感覚を持っていたでしょう。
「日本人なら返してくれるはず」とね。
だからいざ「今日は返せないです〜」と言われようものなら怒り心頭と言う事になる。これをね、慢心と言います。

日本人は割と性善説でものを考える傾向があります。
性善説に任せたマネジメントは慢心を起こします
車の運転で「だろう運転はアカンよ」とは免許センターで必ず教わるでしょう。
「だろう運転」は一種の性善説に任せた運転の仕方とも言えます。「だろう」はしばしば慢心を引き起こし、交通事故の原因となります。だから免許センターは「かもしれない運転を心がけてください」と教えているんですよね。
マネジメントも同様のことが言えるのではないでしょうか。

💰「公金横領の可能性も」⇨それは内部統制の問題だ

この事件に関し、一部では「役所の人間も絡んだ公金横領の疑いがある」と言う声が聞かれました。
では、仮にそうだとして、町長を含めた役場の上層部の責任は軽くなるのでしょうか?
そうとは言えません。何故なら、内部の人間も絡んだ組織的な公金横領であった場合は阿武町の内部統制が機能していないことを示しているからです。
ITパスポートで出題されるかわかりませんが、情報セキュリティマネジメント試験や応用情報技術者試験にもなると「不正のトライアングル理論」は学ぶことになります。

役所ではありませんが、さぶれソースコード流出事件は実に「不正のトライアングル理論」が理論通りになった典型的な事件とも言えます。

SESとは違い、公務員なら不正のトライアングル理論は当てはまらないのではないかと考える人もいるかもしれません。
しかし、阿武町は過去に職員のリストラを行なっています。恐らく職員の給料は安いでしょう。そして不正を実行できる環境はありました。業務プロセスの仕組み化も出来ておらず、犯行は充分に可能な環境です。
阿武町の内部統制には極めて難があると言えるでしょう。

🦠性善説思考の油断と慢心-マネジメントは死んだ

マスコミの誘導したい方向は「金遣いの荒い24歳の若者を叩ける見世物小屋を作ること」です。テレビが視聴率を取るには理性より感情に訴えた方が良いわけですから、そうなります。

日本人はどこか人の善意に期待する面があり、24歳の若者へのバッシングが相次いだのも性善説思考で考えることの表れでしょう。
しかし、4600万円もの大金を前に、人間の善意などと言うものは機能しません。

アマゾンは嫌いなので、基本的にアマゾンでの買い物はアマゾンでしか買えない物がある時以外使いませんが、それでも「善意は役に立たない。働くのは仕組みだ」と言うのは本当です。

私は新自由主義者の端くれですから、公務員の削減自体は賛成です。実際、暇を持て余してる市役所の職員とか結構いるんでね。
何となく当の24歳の若者の人間性が炙り出されて盛り上がってるようだけど、私からして言えば誰に誤送金されたかなんて関係ないですよ。

「田口じゃなければ返してくれたんじゃね?」なんて考えるようでしたら、その考えは甘いです。
今は若者の低所得が進行している時代ですよ?
4600万円もの大金を振り込まれたら、正気を失うと考えた方が自然です。
「この金使ってパリの日本人街へトンズラしよう!」
なんて考える人間がいてもおかしくないのです。

阿武町はリストラしていましたが、だからと言って業務プロセスを仕組み化することもしていませんでした。
大事な出納業務を新人に任せっきり。完全に上層部の油断と慢心、現場の疲弊によって庁内業務が運営されていた。

恐らく、もう少し時間が経てば日経新聞や東洋経済、プレジデントあたりから「なんでこんな杜撰なミスをした」と言う旨の記事は出るでしょう。
「本来3人で確認すべき内容を2人(実質1人?)で回した」
阿武町の業務を掘り起こすと、まだこういう杜撰な業態が出るかもしれません。
業務プロセスの仕組み化もできておらず、内部統制もできていない。マネジメントは死んだのです。
「善意は役に立たない」を認識することがマネジメントでは最低条件であり、性悪説に基づいてマネジメントは動かなければならないのです。
少なくとも阿武町は町長を含め、その大事なことができていないことが可視化されたのではないかなと思いますよ。

この記事が参加している募集

ご一読ありがとうございます。お読みいただいた記事がもし無料、あるいは価格以上の価値があると思ったら、フォローならびに、サポートいただけますと幸いです。