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大和朝廷と天皇家読了:いやぁ…古代史は苦手だ📖

ありゃ2018年だったかな。ステーションメモリーズで奈良イベントをクリアした後だったんですが、自民党のとある議員が「今年は神武天皇が橿原神宮で即位して2600年目だー!」とか言うツイートしてたんで、そらもう「橿原神宮が出来たのは明治時代やぞ?」と突っ込まれてたのを覚えてます。
大森南図書館のリサイクル図書として陳列されてた『大和朝廷と天皇家』を読み進めると、ふとその惨劇を思い出しました。
駅メモの奈良イベントでは主に持統天皇の足跡を辿る課題が多かった記憶がありますが、あの辺りは古墳がありますんで、熱中症に耐えながら明日香村と橿原市を歩き回ったものであります。
その途中で崇神天皇陵は通ったんで、まぁこれと言って感慨深い気持ちを覚えることなく位置登録に励んだ記憶がありますが、改めて日本の古代史を読むと、眠くなるものがありますね。ぶっちゃけ高校時代でも日本の古代史はダメで、世界史では80点下回ったことが無いのに、日本の古代史は60点取れなかった記憶があります。

⛰辿るのはほぼ6世紀以前の古代史のみ

本のタイトルと付いていた帯から考えて、どちらかというと古代から現代に至るまで、日本人がどのように天皇家を受け入れていったのかを辿るものかと思っていたのですが、実際にはそのような本ではございません。
辿るのは古代史のもので、特に5世紀以前の朝廷がどんな感じだったのかを探るものになってます。
なので、現在に至るまでに日本人がどう天皇家を受け入れるようになったかっていうプロセスは、この本だとわからなかったですね。

🏔5世紀以前の日本の事は中国の資料頼みになる

「そういや建国記念日になると神武天皇って妙にもてはやされるんだよな」なんて思うのですが、神武天皇は伝説上の人物ですからね。
崇神天皇(10代)になってやっと『実在の可能性が高い』の領域なんで、如何に5世紀以前の日本史が謎に満ちていたか考えさせられます。東大の史学博士課程を卒業した学者さんでさえわからんことだらけなんですから、素人の私が読んだら睡魔に襲われます。
じゃあどうしてわからんことだらけなんかっていうと、5世紀以前の日本人は読み書きができなかった・・・。日本人が読み書きのできない時代だったんで、中国や朝鮮半島(高句麗・百済・新羅等)の資料からしか読み解けないという・・・。
じゃあ日本人がマトモに読み書きをしだすのはいつからかって言うと、聖徳太子の時代からです。聖徳太子の時代まで読み書きの習慣が無かったので、日本書紀にしろ古事記にしろ、聖徳太子以前の時代について書かれた部分は言い伝えや伝説を頼りに、創作も混じるというわけで、そりゃ当てにならないよなと・・・。

❁古代の日本人って割といい加減だったんやな…

まぁ全般を通して見ると、6世紀以前の日本人って割といい加減だったんだなと、そう思います。
そもそも5世紀以前の天皇は名前すらハッキリしません。允恭天皇の名前とされる「稚子宿禰」を現代語に訳すと「若い人(お坊ちゃま)」になるらしいです。
仁徳天皇の名前とされる大雀もまた、大きなミソサザイを意味する程度らしく、およそ名前らしい名前とは思えないというわけですね。

こう考えると、古代日本人は如何にいい加減に生きてたかって言うのが、なんとなく想像できます。〇〇天皇なんて呼称は後付けで付けられただけなんでしょうね。

🏙やっぱ天武天皇と持統天皇は凄いよ

全体を通して見ると、こんなんでよく天皇家続いてきたなと感じますね。少なくとも前期古墳時代を見ると、まぁいい加減に生きてる気しかしないんだ当時の日本人。
確かに昔の駅メモ奈良イベントでも海石榴市(つばいち)は位置登録スポットになってたんですが、あのイベントを振り返って見て何がキツかったかって言うと、位置登録スポットが完全に点なんです。しかも点から点の距離がかなり離れていて、暑い中に歩って位置登録したので、旅館着いた時には頭痛と痙攣で暫く動けなかったですね。
正直、天武天皇以前の天皇家って、続いたのが奇跡としか思えません。
逆に言うと、古代史のターニングポイントを作り出した天武天皇と持統天皇は、本当にスゲェ天皇だったんだなとも思います。
「天皇」も「日本」も正式に用いるようになったのは、天武天皇になってからです。それまでは「大王」に「倭国」でしたから、天武天皇が如何に天皇家を改革したかがわかります。日本書紀に古事記も天武天皇の事業です。
続く持統天皇ですが、初の唐(中国)式都を作ろうとした天皇です。
新益京は残念ながら失敗に終わりましたが、その反省は平城京に生かされ、平城京のノウハウを更に発展させたのが平安京(京都)ですから、持統天皇の事業は一代では成功しなかったけど、次の代にはしっかり受け継がれて奈良時代へ繋げたんですから、意義のある事業でした。
思えば日本書紀も古事記も天武天皇の事業である以上、天武天皇のお爺さん世代より前に関しては日本国内でも知ってる人がいなくて無理はないんですよね。だから当然、聖徳太子が生きた時代より前のことは信憑性の乏しい記事が多くなる。
それを1000年の時を経て古代のミステリーに挑もうとする歴史学者もまた大変なものでありまして、素人の私にはそれ以上考えることを止めるしかないのでございます。

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