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経験と思考、そしてその数、その正しさ。

このnoteで闘病している方々の記事を読む機会が多くなり、思うところがありました。

重めの病気にかかると、痛い思いや辛い思い、治療への恐怖や、孤独感や焦燥感、絶望感、、、そんな如何ともしがたい気持ちを経験します。

重めの病気を抱え、これらの感情に整理をつけて前を向いている人は強い。言葉にするとなんだか薄っぺらく聞こえてしまうけど、それがない人と比べたら、とてつもなく強い、強くなるしかないんだもんな、と思います。

病気に限らず、生きてれば色々あるけれど、問題解決に向けてのアドバイスやサポートは周囲にしてもらうことがあったとしても、自分の気持ちを整理する作業だけは、自分ひとりでやるしかなくて。
絶望したり希望を持ったり、ダメにたなったりまた復活したり、頑張る意味を見出したり、どうにもならないことは流したり、、、その思考の過程はどんなに複雑なものでも、他人には見えるものでも見せるものでもなく。

例えば話は飛ぶけれど、裕福な家庭で仲の良いご両親に大切に育てられた子(苦しいことや辛いことがなく毎日が平穏系)と、貧しかったり、揉め事が多かったり、辛い思いや気を遣うようなことが多かったりするような環境で育った子(苦難・試練系)。
経験と、それを通じて考えたことや流した涙の数にはどうしても違いがある訳で。

経験と思考。そしてその数。そしてその正しさ?
老若男女、強いに越したことはないと思うのです。