「女」は捨てるものでもなければ拾うものでもない
パートナーシップや女性性について語るとき、そこに続く言葉がいつも「〇〇された」「〇〇してほしい」「〇〇してくれない」といった、受け身言葉になるのはなぜなのだろう。
性、こと「女性性」に関する話には、いつもどこか背徳感と恥が入り交じる。
例えば結婚出産を経た女性が「女」であろうとメイクやファッションに力を入れ始めると、「イタイ」「若作り」「ムリしてる」と言われるような気がしたり、あるいはその反対に「いくつになっても女を捨てちゃダメ」と言われたり
思春期〜20代頃の女性がボサボサな髪の毛で身なりを気にせず、ガハハと笑って合コンを疎んでいれば「女捨ててる」と言われたり、あるいは身を守るための自虐として自ら「わたし女捨ててるから」と、言わなければコミュニティに所属できない感じがしたり。
それらすべては、自分自身ではなく社会的目線からの作られたモテや性愛対象としての「女」であり、そこには主語である「わたし」が存在しない。
わたしたちは「される」存在でもなければ「してもらう」存在でもないし、そもそも「女」は捨てるものでもなければ拾うものでもなく、どんな見た目や生き方であっても常に自らの内側に存在しているもの。
例え体毛がボーボーでも、ニンニクと酒が大好きでも、メイクをしてもしなくても、腰とお腹にホッカイロを貼って、腰には常に腹巻きを履いていても、ずっとセックスしていなくても、生理が来なくなっても
その反対に、“子どもがいるのに”パンプスを履いたり大ぶりのピアスを着けても、40才を過ぎてから美容にチカラを入れても、子どもの七五三や卒業式でその母が気合を入れてドレスアップしても、どちらもマルなのだ。
その人の“女としての価値”は、上がる下がるで評価されるものではないし、勝者敗者で分けられるものでもない。
そこにあるのはいつも主語としての「わたし」であり、恥じることも蔑むこともなく、わたしのしあわせはすべてわたしが決めていいのだ。
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*𝔽𝕖𝕞𝕚ℝ𝕚𝕤𝕞*古川明美
『社会に求められるわたし』ではなく、『わたしがありたいわたし』として生きながらも【わたしらしい美しさに目覚める】ためのコンテンツを配信。✦ダンスインストラクター
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