見出し画像

015. トトロが見えていたあのころ/「私」という自然をもう一度生きるために

ずっと、心の空洞を埋めるように生きてきた。
物心ついた頃から漠然と、自然とともにある暮らしに憧れがあって。トトロの世界が大好きで。

「いつかあんなところで暮らしたい。」「あんなところで暮らせたら、きっと永遠に心の平和を感じながら生きられるんじゃないか。」そうずっと思ってきた。

その空想は予想していたより早く叶って、今わたしは長野県の田舎で、文字通り自然に囲まれた暮らしをしている。けれど私は、本当にここで心の平和を得たのだろうか。

「子どもたちの“今”に寄り添おう。」「イイとか悪いとかジャッジせずに、そのままの感情を一緒に味わおう。」そう思っているのに、いつも頭では別のことを考えて、子どもを邪魔者あつかいして、いつも逃げたくて。

深呼吸をしようとしてもうまく吐くことも吸うこともできず、その隙間を埋めるようにスマホに手を出して。

ままならない自分へのストレスを逃すために、甘みのつよいオヤツに手を出し、香りのつよい珈琲でそれを流し込む。それはリッチな時間を過ごしているようでいて、じつはただ心の空洞を埋めるために気分を紛らわせているだけであることには、もうずいぶん前から気がついていた。

「私は何才になっても子どもの心を忘れず、自然なままで生きよう。」そうずっと思っていたのに、いつの間にか、あの頃なりたくなかった大人になっている自分にハタと気づいて、愕然とする。

トトロが見えていたあのころ、私は自然のすぐそばにいた。いや、むしろ私自身が自然そのものだった。いつだって一緒にいて、風の音を感じたり、土の香りを感じたり、夜の暗さや雨音の深さにひとつひとつ感じ入っていた。

本当に霊的ななにかが見えていたわけではない。でも確実に見えないなにかの気配をすぐそばに感じながら生きていた。おそらく小学校5〜6年生ころまで、ずっとどこか魔法のような空想の世界を生きていたのだと思う。

その魔法がとけはじめたのが、中学生のころ。それまで、自然とはうまくやれていても人とはまったくうまくやれなかった私は、自然の世界、空想の世界だけが救いだった。それが徐々に人の世界に入り、そこで生きるすべを身に着けはじめたのが、13歳の頃だった。そして同時に、それまでいた自然の世界から次第に遠ざかりはじめた。

それは当時のわたしにとって必要なことだったのだと思う。人の世界と、自然の世界。本来は同じひとつのものであるはずの世界が、「どちらに生きるか」を選択しなければいけないのは、本来的にはおかしなことなのだとは思うのだけど。

自然の世界から遠く離れてしまった私が、大人になってもう一度その世界とのつながり求めて、ここに来て。それでも大切ななにかをいまだに思い出せずにいるのが事実なのだけど。

トトロが見えていたあの頃が正しくて、今が間違っているわけではきっとない。だからこそあの頃に戻ることを目的とするのではなく、今は今しか感じられない自然とのつながりを見いだせたらいいなと思う。
「私」という自然をもう一度生きるために。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?