団欒こわい

今年の年末年始は帰省をしなかった。実家の人間にコロナ陽性がわかって、直前に断念した。

年末年始に飲もうとワインを買っていたし、甥っ子にあげるお年玉のポチ袋も用意していたし、なにより飛行機の当日キャンセルは払い戻しがない。こいつはツラい。

でも正直に言うならば、帰れない、というか、帰らなくていいとわかったときはとてもホッとしてしまった。


私は、家族揃っての食卓が嫌いだ。


何が嫌いなのかと言われると困ってしまうのだけれど、とにかく家族揃ってのごはんは、あんまり楽しい記憶がそもそもない。あったとしても本当に小さい頃まで遡ってしまう。日曜日の朝は大きい卵焼きがあった。とか。以上。

自分がちゃんと物心ついてからの食卓は、いつもピリピリしていた。

そもそも孤食文化な家だったので全員揃うのは月のうち数日くらいだったが、その数日が来るのがこわかった。

ごはんよ、と呼ばれた父はまだおかずがテーブルに揃っていないうちからサッサとひとりで食べ始めてしまうし、運が悪いと難癖をつけて突然キレる。本当に意味がわからないくらいキレる。怒鳴る。こえぇ。

その父に間に合わせようと母はバタバタし、祖母(母からすれば義母)に気を遣ってバタバタし。こんな言い方をすると本当に申し訳ないが「やってる感」を出すためではと思うくらい母はいつもバタバタしていた。

母がバタバタすることへ抗議するかのように、私も大げさに手伝ったりしていた。よくない。

父が先に食べ始めてしまうのもあるが、母がいつまで経っても自席につかないこともあり、揃って「いただきます」をしたことはおそらくない。

私はそういった父の態度の母の態度も、どちらも嫌だった。今思えば、母はそうしていないと居場所がなかったのかもしれない、というのは大人になってから少し考えるけれど。

同じ食卓なのに、時間差で食事をしている居心地のいいとはいえない空間だった。子どもながらに嫌だったので、遅くまで自習室に残ることを理由に、私自身も徐々に実家では夕ご飯を食べなくなった気がする。


何かの本で、「『家族団欒の時間』というと無条件にいいものと捉えられがちだが、それが機能不全の家族だったとしたら(たとえばその“団欒”の席についてているのがアルコール依存症の父親だったり)、その団欒の時間こそ家族にとっては地獄の時間だ」みたいな話を読んだことがあるのだが、まさにうちじゃん、と思う。

(信田さよ子氏の何かだった気がする〜!)


別に誰がどう悪いという話をしたいわけではないが、いま振り返ると、うちの家族はまあまあに機能不全だったんだなぁと思う。怒鳴る人がいたりビクビクしている人がいたりそれにまた気を遣っている人がいたりするのが団欒であってたまるかよ。

バラバラにいるほうが、うちは家族の距離感としては適切なんだわ。


私はひとり暮らしをするようになって、不規則ではあるが昔より幾分落ち着いてごはんを食べられるようになった気がする。

本来ならきっと今年もバタバタしていたはずの母が、できれば自分のためのごはんだけ用意して、好きなものを好きなペースで食べてくれていたらいいなと思う。






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