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【アイザック・スターン, 1920-2001🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ23】

20世紀の名ヴァイオリニストの一人アイザック・スターン(Isaac Stern, 1920-2001)は旧ポーランド領クレメネツィ(現ウクライナ)でユダヤ系の家庭に生まれた。ただし、生まれて14ヶ月でアメリカに移住している。

両親はともに音楽家で、スターンが6歳の時にサンクトペテルブルク音楽院出身の母親がピアノを教え始めるが、8歳の時にヴァイオリンに転向してサンフランシスコ音楽院に入学。15歳の時に、ピエール・モントゥーが指揮するサンフランシスコ交響楽団との共演でデビュー。

第二次世界大戦の時には、米国慰問協会に所属し米軍のために演奏していた。ガダルカナルでの演奏の際には、一人の日本兵がスターンの演奏を聴くために米軍兵士の聴衆の中に忍び込み、その後そっと出て行ったという、ちょっと信じがたいエピソードが残っている(情報源)。この証言をした退役軍人は「日本人もクラシック音楽好きなんやなぁて思うたねん」と言っていたとかで、せっかくのコンサート中に野暮な騒ぎを起こさないで黙認してくれたということか。

スターンは才能のある若い演奏家の発掘にも力を入れ様々な支援をした。その中にはパールマン,ズーカーマン,ヨーヨー・マ、五嶋みどりもいる。

いくつかの映画の音楽指導や演奏の代役もしていて、「屋根の上のヴァイオリン弾き」で、主人公が弾くヴァイオリン演奏はスターンの吹き替えだ。

実話をもとにした映画「ミュージック・オブ・ハート」にもスターンは登場。この映画は,ヴァイオリン教師がニューヨークのハーレムで子どもたちにヴァイオリンを教えることで人生を変えていく物語。カーネギーホールの館長だったスターンは,ロベルタの教室のコンサートをカーネギーホールで開催するのに協力する。登場するスターンは,にこやかで人間愛に溢れた表情をしている。演奏を聞いてもそのような印象が強い。

以下は、映画「ミュージック・オブ・ハート」(1999)の製作のきっかけとなったハーレム公立学校ヴァイオリン・プログラムによるカーネギー・ホールでのコンサートで、1993年のものらしい。スターンの他に、パールマン、五嶋みどり、マーク・オコナーらの姿がある。映画で描写されたように、予算削減のためにこのプログラムの継続ができなくなったロベルタが設立した「Opus 118 ハーレム音楽学校」は現在も活動を続けている。

話はどんどん脱線するが,この映画でのヴァイオリンのレッスンシーンではスズキ・メソードが使われている。学生のときに初めてヨーロッパ旅行をした時,電車の同じコンパートメントに座っていた素敵なお祖母様が,娘はヴァイオリニストよと写真を見せてくれ,「シュシュキ」と一生懸命言っていた。はじめは何のことかと思っていたが,「スズキ・メソード」で勉強していたことを日本人の僕に伝えようとしていることに気づいた。クラシック音楽の本場のドイツからオーストリアに移動する列車で、現地の人から「スズキ・メソード」なんて言葉が出てきたのは驚きだった。

以下の動画は、湾岸戦争の時のもの。イスラエルでツアーをしていたスターンはバッハの協奏曲を演奏していたが、スカッドミサイルに対する空襲警報のサイレンにより中断。演奏者はステージから避難し、聴衆はガスマスクをつけて待機。スターンはガスマスクなしでステージに戻り、演奏で観客を落ち着かせたという記録動画の一部。

私の妹は時々クロアチアやボスニアなどの東欧にピアノを弾きにいくのだが、紛争等で両親や兄弟を亡くした人たちが、音楽だけが心を癒してくれると、演奏家をとても大切にしてくれると言っている。似た話は、以前習っていたチェリストからも聞いたことがある。音楽は、「音を楽しむ」というより、平和の祈りに近いものだと思う…という話については、以前の記事『「音楽」は「音を楽しむこと」ではないのです...』をどうぞ。あれ、また話が逸れてしまった。。。


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