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【ダヴィッド・オイストラフ, 1908-1974🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ22】

20世紀を代表するヴァイオリニストの一人ダヴィッド・オイストラフ(David Fyodorovich Oistrakh, 1908-1974, 写真左)はロシア帝国オデッサ(現ウクライナ)のユダヤ系の商人の家庭に生まれる。5歳の時にピョートル・ストリヤルスキーの元でヴァイオリンとヴィオラの勉強を始め,同門だったナタン・ミルシュタイン(1904-1992, 過去記事はこちら)とも随分仲が良かったらしい。

1927年にモスクワに移り,1934年にはモスクワ音楽院で教職に就く。弟子にはオレグ・カガン,ギドン・クレメルらがいる。一人息子のイゴール・オイストラフも一流のヴァイオリニストになってるね。

第二次世界大戦時にナチスドイツがソ連に侵攻してきた時には最前線に赴き、兵士や工場労働者のために慰問演奏を行なったとか,1942年冬にスターリングラード中心部がドイツ軍によって大規模な空爆を受けている最中にも、中央音楽ホールでチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を最後まで演奏したといったエピソードが残っている。

以下はオイストラフとヤンポルスキー(Vladimir Yampolsky)によるプロコフィエフ(写真右)のヴァイオリン・ソナタの演奏。プロコフィエフはウクライナ東部(ドネツク)出身(以前の紹介記事はこちら)で,2曲のヴァイオリン・ソナタをオイストラフに献呈している。

このヴァイオリン・ソナタは学生の頃大好きで一時期取り憑かれたように聴いていた。ただし,ヴァイオリンもピアノもシンプルな旋律に聞こえるような部分でも超絶技巧が散りばめられている。

いつだったか,滅多にピアノを練習しないピアニストの妹がこの曲の本番前には珍しく真面目に練習していて,2楽章のヴァイオリンパートを(ピアノで)弾けと言われたが,初見では全く歯が立たなかった。(ピアノが専門の家内によると,私の初見演奏能力はそんなに悪くないらしいのだが。。。)

チェスの対局の写真の中央の女性は名ピアニストのエミール・ギレリスの娘でヴァイオリニストのエリザベス・ギレリス。ギレリス親子もウクライナ(オデッサ)出身(以前の紹介記事はこちら)。チェスはスターリン体制のもとで強く推奨されていたゲームで,オイストラフも夢中になっていた。プロコフィエフも世界チャンピオンに勝利することもあるくらいの腕前だったが(情報源),オイストラフとプロコフィエフによるソ連での1937年のイベントでは10ゲームマッチの7ゲーム目でプロコフィエフが負けを認めたらしい(情報源)。

オイストラフといえばリヒテルとの共演の名演も多い。フランクのヴァイオリン・ソナタも歴史的名演だね。リヒテル(1915-1997, 以前の紹介記事はこちら)はジトーミル(現ウクライナ)の生まれで,1921年から1934年までオデッサに住んでいた。しかし,この頃はオイストラフとの交流はなかったようで,二人が共演するようになったのは,どうも1960年代になってからのようだ。

二人の共演は録画も多く残っている。以下はブラームスのヴァイオリンソナタの3番。学生の頃の色々な思い出が詰まっている曲で,ボロアパートで友人と練習した光景が脳裏に浮かんで涙がちょっと。。。ぁ,オイストラフの話と関係なくなってしまった。。。


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