見出し画像

小話 有間皇子の変 謎の遺言

朝倉あさくらたちばな廣庭ひろにわみやの怪異について調べるため、「日本書紀 巻第廿六 天豐あめとよたからいかしたらしひめの天皇すめらみこと 齊明さいめい天皇てんのう」を読んでました。そこで興味深い話を見つけました。

まず背景として、有間ありま皇子おうじの謀反について簡単に説明します。

有間皇子は孝徳こうとく天皇の皇子として生まれました。生年は舒明じょめい天皇12年(西暦640年)です。

舒明天皇の後、皇極こうぎょく天皇が即位しました。その後、父の孝徳天皇が即位し、崩御ほうぎょ後には皇極天皇が再び即位し、斉明さいめい天皇となりました。なかの大兄おおえの皇子と孝徳天皇は仲が悪かったため、孝徳天皇の崩御後、有間皇子は政争に巻き込まれないように心の病を装い、政治の中心から離れていました。

ここのあたりは後のおお海人あま皇子を思い出します。
中大兄皇子に嵌められないため、参考にしたかもしれません。

都に戻った有間皇子は斉明天皇に、療養先の温泉の素晴らしさについて話しました。天皇はその温泉に行幸することにしました。しかし、天皇が都を離れている間に、蘇我そがの赤兄あかえが有間皇子に接近し、坂合部さかひべのむらじのくすり塩屋しおやのむらじの鯯魚このしろなどを巻き込んで謀反を計画しました。

しかし、蘇我赤兄は裏切り、有間皇子らを捕らえて斉明天皇と中大兄皇子の前に引き出しました。謀反の理由を尋ねられた有間皇子は、「天と赤兄が知っている。私は全くわからない」と答えました。

有間皇子は藤白坂(現在の和歌山県海南市藤白)で絞首刑にされました。
享年19歳。

坂合部連薬と塩屋連鯯魚は同日斬首になります。
この時、塩屋連鯯魚が不可解な言葉を残すのです。

「願令右手作國寶器」

直訳すれば、「願わくば、右手で国の宝器を作らせよ」。

最後に言うには変な言葉です。謎です。

ここからは個人的な解釈です(妄想?w)です。何かの暗喩表現なのかなと考えました。

まず、「右手」とは、古代でも一般的に右手を指していますが、馬の手綱を握る手の意味もあります。

次に、「宝器」とは、単独では宝器ぐらいしかわかりませんが、この時の天皇は斉明天皇です。彼女の別名は「天豊重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)」です。また、「女王(たからじょおう)」とも呼ばれています。したがって、「宝(女王)の器」は天皇の位を指すのでしょう。

したがって、「願令右手作国宝器」の意味は、「願わくば、(有間皇子)を天皇の位につけて、国の手綱を握らせよ」というような解釈ができそうです。

いかがでしょう。


 でも何故、暗喩表現にしたのでしょう。斬首されるなら素直に述べてもよさそうですが。ここも想像ですが、塩屋連鯯魚が斬首されるとき、有間皇子は、まだ刑が執行されず生きていると思っていたものと考えます。最後まで謀反は企てていないと主張する皇子の為、本心を言うことができなかったのでしょう。


2024.1.20 ルビを追加しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?