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イランイランの水槽【成人推奨】短編小説

嫌いだった臭いが、背後から抱きしめてくる。私は夏に髪を短く切るんじゃなかったと、身をよじらせた。露わになっている首筋へ、形の良い彼の唇が触れたからだ。嫌いなはずのタバコの臭いが付いた唇。

年下の女の子にモテる若手俳優並のパーツで完成された顔と、いつ鍛えたのか知らない筋肉質の体も良くて、おまけに声も良い。彼が隣を歩けば自慢の象徴となるが、私は都度、恋人ではないものの、気持ちが怯んでしまう。見た目的に立場が無いのだ。

羽交い締めにされて座っているこの狭い四畳半の密室でも、今だけは私を見てくれている悦びを感じれど、コンプレックスはなかなか消えてはくれない。終わりが来てしまう寂しさも重なって、完全に有頂天となることは難しかった。

行為に慣れている指が、下腹部を探るように動く。私が喉奥で上擦った声を発しては気を良くしたのか、追い詰めて楽しんでいる雰囲気が背中から伝わってきた。
他の男性を知らない体に教え込む優越感。植え付けると言っても良い。初めてが自分で満たされることで快感を得ているのであれば、狩猟民族の血が疼くのかもしれない。

二本の頑丈な腕に羽交い締めにされて自由を失った未成熟な体は、一枚の薄い布を挟んで上下に熱を擦り付けられて力む。過去に二度も達したことがあるそこはあなたにしか満たせないのだと、湿度を上げて求めた。

彼の唇から愛を囁く言葉は出ない。代わりに催淫効果があるイランイランの香りが漂う水槽に服を着たままの私を浸からせ、朝も昼も、夜をも消していくみたいに、体と時間を蹂躙していく。心は重りを付けて沈む。

まともに喋れない。思考が回らない。何を言えばいいか、わからなかった。
気持ち良かったと褒めればいいのか?
もっとして、帰りたくないと、懇願すべきなのか。


アパートの玄関で見送られ、十五分、駅まで歩いた。お互い何を話せばいいか戸惑った行きの時間が巻き戻ることはない。

帰りの電車は、乗車している客が少なかった。日曜日はこんなにも空いているのだと初めて知る。

彼が付けた、私が嫌いなはずの臭いが、ほかの匂いに混ざって消えてしまわないことが嬉しかった。
ひとりで眠るときも、野暮ったいイランイランの水槽に浸れる。


end

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