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選ばれたってことは、選ばれてない人がいるってこと

同期から悩み相談を受けて、それからぐるぐる色んな事を考えていた。

この文章で誰かのことを傷つけそうだなあって思いながら、でもひょっとしたら誰かのことを(自分のことを)救うかもしれないなあとも思って書いておく。

お節介になるので、同期には言わないけど・・・



受験、就活、友達、恋人
今いる場所、今関わっている人

自分の意思がしっかりとあると、今いる場所も、今関わっている人のことも、なんでも自分に選択権があって「選び取った」気になっちゃう

今いる場所は「自分で」選んだ道で、関わっている人は、「自分が」好きで関わっているんだって。

しかも、育った環境が良かったり、優等生だったりするといつもその選択を肯定されがちだから、今いる場所や、今関わっている人を、自ら勝ち取った気になっちゃう。

だから、何かしんどいことがあった時に「自分で選択したのだから、自分で責任を取らないと」とか「自分で考えに考えたうえでの選択だから間違ってないはず、でもしんどい、なんで」とか、自責思考陥っちゃうのかなあ。

自分をずっと責める彼を見ていて、辞めなよって言いたかったけど、そんなこと言ってもあんまり響かないのは分かっていた。

だって、自分の選択に、プライドあるもんね。
わたしもそうだからわかる。

でもわたし、意思強いけど、あんまり自責思考にはならないんだよな〜
なんでだろ~ってちょっと考えてみた。

①自分の意思だけで今の環境があるわけではないことを認識してるから

自分の意思だけでは今の環境は作られていなくて、ちゃんと、相手の意思があってこそなんだ。

「あなたが相応しい」「あなたと一緒にいたい」って、「選ばれてる」から、今いる場所に自分は置かれているし、今関わっている人がいるんだよね。

自分で選び取ったんじゃなくて、向こうが向こうの意思で選んだのよ。

だから、責任は自分だけじゃなくて相手にもある。相手(会社)は、自分雇ってるんだから、快適な労働環境を用意してくれて当たり前。恋人は、付き合ってるんだから大切にしてくれて当たり前なの。

あと、選ばれるってことは、選ばれてない人がいるんだよ、自信を持たなきゃ。

それから、選ばれてない人の気持ちを想像し続けられる人でいなくちゃと思う。

②ゴールは決まってて、そこに向かう過程を生きてるだけだから

選び取ったのは、ゴールに向かうまでの「過程」で、通過する。過ぎ去るものだから。

人は絶対死ぬし、死に向かって人は思い出を作ってるだけだから、起きたことの意味とか考えても、「死までの過程に起きたこと」ただそれだけだし

全部運で、なるようにしかならないから、今ここに置かれた意味や、関わっている人の意味や重みを考えること自体、あんまり意味ないよね

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