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ウララちゃんから学ぶQOL

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 俺はあと何回……ウララちゃんを泣かせればいい……?


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 デッキはこんなもん。フレンドサポはウオッカ。

 芝C長距離Bまで上がったのは初めてだったし、目立った失敗もなくステも良好。賢さはやや低いけれど、好転一息も皇帝の神威も発動したし持久力が切れた様子もなかった。

 その上で10着。正直なところ、これ以上の成績を目指すならサポカの地力を上げないと奇跡でも起きない限り厳しい気がする。いたずらにウララちゃんを泣かせることは好まない。我々は紳士なのだ。勝算があるのならまだしも、ただのバクチにウララちゃんを振り回して良いはずがない。

ウララちゃんは何故有馬に挑戦したのか

 ここまで書くと「そのサポカでも有馬は勝てる。お前のトレーナーとしての実力不足」という幻聴が既に聞こえてくる。確かにそうかもしれない。けれどよく考えてほしい。我々の目的は何か? 言うまでもなく、ウララちゃんに有馬を勝たせてあげて、あのはち切れんばかりの笑顔をもう一度見るためである。

 そのための努力は当然惜しまない。しかし、努力にも色々な形がある。諦めず何度も何度も挑戦し、最後に勝つものが勝者だというスタイルも言わずもがな。一方で、忍び難きを忍びじっと好機を待つ、これもまた努力である。そこに優劣はないと私は思う。

 さて、ここからが本題である。「ウララちゃんは何故有馬に挑戦したのか」。

 現実のウララちゃんは全戦全敗のスターだった。当時は競馬に興味のない者でさえ「ハルウララ」という馬がいることは知っていた。勝てない馬がスター扱いされる事への関係者の複雑な思いや、引退直前のごたごたなどもあるが、その辺は調べればすぐに出てくる情報であり、私もそれ以上のことを知っているわけではないので割愛する。

 しかし、ウマ娘のウララちゃんは違う。(全然勝てないのではゲームにならないわけだが)デビュー戦から華々しい勝利を飾り、育成ストーリーでは数々のG1を制覇していく。現時点では数少ないダート適性持ちということで、チームレースでも普通に勝ちまくっている。

 そんなウララちゃんが何故、挑む前から厳しいことが分かっていた有馬に挑戦したのか。ストーリー的な理由ではなく、どうしても考えずにはいられないのである。有馬に挑まなければ、得意なダート短距離レースに出走し続ければ、ともすればウララちゃんは無敗の女王として名を残すことも出来たのではないか。走ることが楽しいウララちゃんが、どうして涙を流さなければいけなかったのか。私はこの理不尽に当初憤り、何が何でも運命を変えてやると躍起になっていた。しかし、最近は少し違う視点になってきたのである。

ウララちゃんは結果を求めてはいなかった

 物語の最初、ウララちゃんは何と言っていただろうか。「走るのが楽しい」。どんなに負け続けても全く気にせず、ただただ純粋にレースを楽しんでいた。物語が進むにつれて「1着を取る」ことへの執念が芽生え、それゆえに有馬で涙を呑む展開になるのだが、有馬敗北後にウララちゃんが口にした言葉に、私は気付かされた。「楽しかったんだよ」の言葉に。

 少し自分語りになってしまうが、私は人に比べて効率を意識している傾向が強いと自己分析している。枚挙に暇がないが、住居の基準は職場に近いこと。通勤時間は短ければ短いほど良い。時間の無駄でしかないから。

 何事も結果を出さなければ無意味。同じ結果なら時間のかからない方を選ぶ。食事も料理の手間が惜しく、ほぼ出来合いのもので済ませてしまう。評価されない部分に時間をかけるのは面倒だ。私はそういう風に生きている。

 だがウララちゃんは違う。(最初の)ウララちゃんはレースの結果に執着していなかった。ただただ走ることが楽しかったのだ。

時間を効率的に使うのは難しい

 最近分かってきたことだが、効率的な生活は必ずしもQOLの向上には結びつかないようだ。

 特に時間効率を求めすぎると、QOLは逆に低下してしまうことも分かった。理由は簡単で、余った時間というのは有効に使うのが難しいからだ。時間効率を求めるあまり、私は有意義な時間の使い方を失ってしまったらしい。意味もなくインターネットを巡回し、その場限りの享楽に乾いた笑いを漏らす。つまらないとは言わないけれど、私はQOL底辺の自覚がある。

 私は余りにも物事に結果を求めすぎた。趣味の創作にも、目に見える結果を求めた。結果の出ない趣味に楽しみを見出せなくなった。そして私の趣味は徐々に徐々に、その場ですぐに結果が出るインスタント的なモノに変わっていってしまった。


 もしかしたら、私だけでなく社会全体がそうなのかもしれないと思う時がある。動画サイトで人を惹き付けるのは、3分~5分程度の短めな動画なのだとどこかで読んだ。20分を超える動画はそれだけで見てもらうのが難しくなるのだと。確かに心当たりがある。それに関しては、世の中に見てくれだけの「粗雑な模造品」が大量に溢れ返っているせいもあるのだが……

 「粗雑な模造品」で溢れ返る原因も「結果第一主義」だと私は分析している。結果を出すには流行に乗っかるのが一番だ。そこに中身が伴わなくても、人は流行の物ならとりあえず目を通す。それが分かっているから、作る側も皆が皆、中身のない流行に乗っかっただけの模造品を作るのだと思う。

そのままの君でいて

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 だからウララちゃん。そのままの君でいてほしい。

 がむしゃらに1着を目指す君も美しいけれど、キラキラ輝いている君もまた美しい。

 今回もぐっちゃぐっちゃの内容になってしまったが、これもまたQOL向上のために必要なことなのかな、とも思っている。これを書き殴っている間の私は、少なくとも「楽しかった」のだから。

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