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思索ノート(3)〜大人になるって険しい道のりだ〜(エンジニア転職27,28日目)

こんにちは、コリーです。

「大人になる」ってなんだろう?
なんて考えたり、

「ああ、大人になったなあ」
なんて思ったりすることありますよね。

 では、そういうことを考えたり、感じたりする時はどんなときでしょうか。

●使えるお金が増えたとき?
●敬語で話せるようになっまとき?
●学生時代の友達遊ばなくなったとき?
●自分や友達の結婚?
●出世したとき?


 きっと、これを読んでくれている人それぞれに、「大人」や「大人になる」ことの定義、「大人になったんだ」と思える瞬間はあると思います。
 わたしは、「大人」って「立派な人」だと思います。簡単ですけど、そこには自尊心や周りへの気遣いや論理的思考力…なんかが含まれています。では、そうなるために必要なことは?勉強?経験?年月?

「大人になる」って「決断していく」ことだと思う。

 わたしは、最近転職をしましたし、実はそれに合わせて県をまたぐ移住をしておりまして、その決断をするのには結構エネルギーが必要でした。転職の際には、なんの仕事をするか、どこに住むか、いつまでにやるか、退職手続き、職場への挨拶など…公私ともに実に様々なことを、短い期間でやってきました。そこには一つ一つの決断があり、エネルギーが必要でした。
 そこで、「大人になる」ってこういうことなのかな?という気付きがありました。

 

何よりも経験が大切だ

 それは、本当にそうだなと思います。例えば今回のわたしの場合でいうと、この「移住を伴う転職」というイベントを乗り切ったことで、自分自身一皮むけたかな、と思ってたりします。そして、これから先、この出来事を一言でまとめて“経験”と言って大切にしていくんだろうとも思ってます。

 しかし、それだけではなく、このイベントを実現するために行った自分の決断のに注目して、決断した内容と決断したという事実も大切にしていこうと思います。なぜなら、そこにこそ“経験”があり、それが積もってきて自信にもなるだろうし、判断力を養うことにも繋がると思うからです。

判断力の良し悪しじゃない

 決断力のある人が「大人」であるという捉え方もあると思います。もちろん、それは正しい気がします。立派な人は自信に満ち溢れていますし、そういう人は決断力があると思うからです。
 しかし、「大人になる」というのは、自分の人生における決断を重ねていくことなので、(傍から見た)決断力の良し悪しは全く関係ないと思ってます。自分の人生に主体性を持つ、そのために「決断をしていく」のです。

 

「大人」になるのは、険しく長い道のり

 時間が経てば歳を重ねて、それなりのオトナになることはできます。また、何となくの流れで、自分が決断しなくても済んでしまうこともあると思います。でも、それだけではいけないと思います。楽しいことだけじゃなくて、嫌なことも、大変なことも自分で覚悟を決めて決断し、実行するのです。

 移住を決めて実際に動くのには、もちろん緊張や不安もあり、体力も気力も使っていたと思います。今回例にあげているような大きめの決断だけではなく、「大人になる」には、こういった気力を使う決断を生活の中で繰り返していくしか道はないのだろうと思います。

 だから、“大人になったら〜”なんて妄想も楽しいですが、自分が自然と「大人」になっていく未来なんてものは、ないんだろうと思います。

 険しい道のりを自ら突き進むのみです。

 

おわり