エッセイ|第34話 南部の花咲く白昼夢
サルスベリを初めて意識して見たのは日本の真夏。それはずらりと並んだ都会の街路樹だった。暑さも最高潮の、歩道を行く人影もない昼過ぎ、彼らは強烈な日差しを物ともせず、まっすぐ天を目指していた。
そしてその花の色。目が痛いほどの濃いピンク。陽炎に揺らめく道路沿いで、そこだけがくっきりと際立っていた。熱波にさらされ青息吐息だった私は、その凄まじい生命力に唖然としてしまう。
すごい種だと思った。けれど欲しいとは思わなかった。あまりにも強すぎて私の庭には似合わない、そう思ったからだ。すぐ後で、庭木の場合は趣のある小さいものが定番だと聞いたけれど、見る機会はなく、それきりサルスベリのことは忘れてしまった。
ニューオーリンズの街角で再びこの木に出合った時、まじまじとそれを見た。あの街路樹とは違う。なんとも複雑な形に枝を伸ばし、大きさも2階の屋根に届くかどうか。縦というよりは横で、圧倒的な花の量。日本の庭木もこんな感じなのだろうか。
元々は熱帯の木。高い湿度という点では日本も似ているが、ニューオーリンズのそれはさらにねっとりと、まとわりついてくる湿地の輪郭だ。その奥には呪術的気配が満ち満ちていて、現実離れした何かが手招いている。
そんな街だからか、どこか物語めいた、歪な美しさが漂う。あの日、派手すぎると感じたピンクさえ、フレンチクォーターの少しくすんだターコイズの壁には驚くほどマッチして、気がつけば何度もシャッターを切っていた。
英名はクレープ・マートル。昨今、ロングアイランドのご近所さん宅でもよく目にするようになった。けれどそれはニューオーリンズとは違う何かだ。もちろん、若くすっきりとした庭木は華やかで愛らしく、都会的で小綺麗な住宅街に似合っていて文句はない。
それでも、やはり密かに憧れる。ニューオーリンズの50年をゆうに超えた巨木、そのねじれ絡んだ幹。濡れたようなシーツに辟易しながらも、テラスに揺れる妖艶な白や紫に、沼地の先の濃く深い何かを想う時間。
もし、そんな甘美な白昼夢に囚われるためだけに、フレンチクォーターを訪れる贅沢が可能なら、それはとてつもなく素敵なんじゃないだろうか。