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【アルギュストスの青い翅】第12話 深く暗いぬかるみ

 「その上俺にはいろいろある。ヴィーも知ってるだろ? 何代かに一人、俺と同じ名前を持つ祖先がいる。俺たちがその名前を使い続けるのは、志を新たにして、よりよい未来を招くための誓いのようなものなんだって親父が言ってた。それで……、その名前を持つ者は一族の中でも特に毒に対する耐性が優れていて、それを基に大きな結果を残してるんだ」

 そこまで言ってヴィーを見た。昨日、ためらうことなく口にした言葉。それをもう一度説明するだけだ。ヴィーはもう知っている。彼が俺を傷つけないこともわかっている。それなのに……。
 改まって自分のことを説明するとなると、たちまち臆病になる。目の前にいる大事な友人の口から拒絶の言葉が出やしないか、怖くて怖くてたまらない。だけど顔を上げれば、そこにはどこまでも穏やかで優しい目があった。
 じっと待っていてくれる。俺が俺のタイミングで殻から飛び出すのを見守ってくれているのだ。ここでそれに応えなきゃ友人を名乗る資格なんてないな、俺は自分に喝を入れ重い口を開いた。

「昨日も言ったよな。俺にはアルギュストスの毒は効かない。強がりでもハッタリでもないよ。本当の本当。俺は一族の中でも特殊なんだ。どれだけアルギュストスの鱗粉にさらされても全然問題ない……」
 
 バケモノだよな……。みんなが言った通りだ。そう、俺は毒の蝶なんだ……。

 吸っても吸っても空気が足りなくて、息苦しく頭がぱんぱんで、身体中の血管という血管が膨らんで恐ろしい速さで脈打っている。それでも今しかないと、俺は歯を食いしばった。

「それってさ、人間じゃないディカポーネを更に超えちまったってことだろ? 普通のディカポーネでさえ気味が悪いんだ。だったら、俺なんて気味が悪すぎて、近寄りたくないよな」
「神秘的だね」
「え? 」
「Jがそう言ったんじゃないか、昨日。気味が悪いんじゃなくて、神秘的なんだって。僕も君も、月夜に似合う神秘的な存在なんだって、それでいいじゃないか」

  あっけにとられた。血を吐くような思いで吐露したのに、ヴィーは涼しく笑っている。俺はもう力が抜けて、一緒に笑い出しそうになった。

 そうだった、そうだよ。この友人も同じだった。毒として、誰にも想像できないような時間をくぐり抜けてきたんだ。その場限りの、つじつま合わせみたいな、薄っぺらい慰めは聞きたくないなんて思っていたけれど、そんな風に思うこと自体が間違いだった。

 やっぱりヴィーには俺の気持ちがわかるんだな。嬉しくなって感謝の気持ちを伝えようと口を開きかけた時、ヴィーがぽつりと言った。

「すごいねJ、本当に選ばれたディカポーネなんだね。特別って言われるのがわかるよ」

 持ち上げられたかと思ったら叩きのめされた。地中深くにめり込んでしまったかのような痛烈な痛みを全身に感じた。二度と聞きたくない言葉。それが心を許した友人の口からだなんて、どんな悪夢だ。

「特別? なあ、ヴィー。特別ってそんなにすごいのか? 」

 ヴィーが「え? 」と首をかしげた。

「俺、特別って言われるたびにこの辺りが痛いんだって、さっき言ったよな。刺されたみたいだったり、ちりちり燃えてるみたいだったり。嫌なんだよ! 特別じゃなくていいんだよ! なのにどうして……」

 言いたいことは山ほどあるのに喉が詰まって言葉が出ない。言ったら言っただけきっと惨めになる。そう思ってうなだれてしまった俺を、ヴィーが心配そうに覗き込んだ。

 視界いっぱいに金色が揺らめく。ヴィーの後ろに見える月が水面が、まるでその光に同調するかのようにざわめいた瞬間、俺はポツンとあの日に立っていた。

 特別、特別、特別! わんわんと頭の中で鳴り響く言葉。2度と聞きたくないと思った言葉。さっきまであんなにも嬉しかったのに、心が体が重くなっていく。俺には泥沼の底の底がお似合いなのか。そう思った時、満月が囁いた。

「だから、それを頂戴よJ。教えてよ、僕に」

 泥の波間から空に手を伸ばし、必死になって息をした。格好悪くたっていいって決めたはずだ。ヴィーになら、何もかもさらけ出そうって。降り注ぐ月光の力を借りて、なけなしの力を振り絞れば、迷子になっていた言葉が、ほとばしり出た。

「俺さ、幼馴染がいたんだ。胸の病気でほとんど学校にもいけない子だった。だから帰ってきた俺が学校の話をするのが楽しみだって、いつも言ってくれて。俺よりもずっと小さくて細くて、だけどすごい奴なんだ。俺のこと四六時中、励ましたり褒めたりしてくれるんだよ。Jはそのままでいいんだって。あいつだけは俺をJって呼んでくれた。っていうか、呼んでくれって俺が言った。うん、あいつにそう呼んでほしかったんだ。俺、あいつには思ったことをみんな言えた気がする。今思えば、ずいぶん申し訳ないことをしたんだよな。毎日辛いだろうに、俺の愚痴にばっかりつきあわせてさ」

 ついに思いを吐き出し俺は、内心うろたえていた。この先、なんと言えばいいのだろう。けれど悩む間もなかった。ヴィーの静かな声が俺を導いてくれたのだ。

「その子、今は近くにいないの?」

 心地の良い声に高ぶった波が鎮まっていく。俺は感情に引きずられないよう、一つ一つ丁寧に言葉を足していった。

「ああ、引っ越したんだ。ここは霧が多くて気温が低いだろ、病気にはよくないらしくて。大陸側に引っ越した。川岸の大学がある町だよ。あそこなら病院も大きいし、暖かくてからっとしてるからな」
「ディカポーネはその大学に行く人が多いって聞いたけど」
「よく知ってるな。そうだよ、あの土地はアルギュストスと縁があるから」

 穏やかに切り返してくれるヴィーの存在がありがたい。俺は淡々と説明を続ける。今度こそ、最後の最後までやり切らないと。

「ジョナシス=アルギュストスが生まれたのが大学のある町の近くの川だって言われてるんだ。だから聖地だって盛り上がってみんな通いたがる。その名は俺たち一族の誇りだから。今代は……こんな俺だけどさ」

 なのにまたやってしまった。どうして余計な一言を付け加えてしまうのだろうか。つくづく自分の弱さが嫌になる。けれどヴィーは黙って続きを待っていてくれた。ごめんなと心の中で詫び、俺は話を戻した。

「俺もそのつもりだった。だからあいつが引っ越すって言った時、楽観的だったんだ。しばらくは寂しくなるけど、またすぐに会えるはずだって。だけど」
「だけど?」
「手紙が来なくなった。最初はよく来てたんだ。町のことがあれこれ書いてあって、元気になったんだなあって思った。俺も近いうちにその光景を見れるんだと思うと嬉しかったよ。だけどだんだんと手紙が来なくなって……最後がいつだったか、もう覚えてない」
「返事は書いたの? 」

 俺は黙って首を振った。

「書こうとは思ったんだ。だけど」
「だけど?」
「書けなかった。俺は……最後の手紙にあったあいつの言葉に……打ちのめされたんだよ」


第13話に続く https://note.com/ccielblue18/n/na060c9cec18a
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