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【散文】告白

日本は夜中ですね。
なのでちょっと告白。
たまには誰かに語ってみたいこと。
もし一緒に飲みに行ったら?
いや、きっと言えないでしょうね。
なので、やっぱりここでこっそり。

私は早くに兄を亡くしました。
実の兄ではないけれど
血の繋がりのある大切な人でした。
7つ違いの年の差は
決して追い越せないものだったはずなのに、
気がつけば私は兄よりも年上で
なんとも複雑な思いがしました。
兄が兄でなくなるような
私が私でなくなるような。
兄はやはり私にとって
かけがえのない存在だったのだと
改めて思い知った瞬間でした。

私の物語や詩の中に「兄と妹」が多いのは
そんな背景もあってのことです。
だからと言って私が兄に対して
そんな思いを抱いていたかというと答えは否。
兄が生きていたら
こんな風に過ごしたかったと言うとそれも否。
けれど兄が私にとって
インスピレーションの源であることは確かです。

もっと言うと、
兄という人がではなく、
この世界からいなくなってしまった
私の兄という存在が、です。

兄を通して自分が何を求めているのかは
未だ漠然としていてわかりません。
だけどなんとなく感じるのは、
きっと私は自分が思う以上に寂しがり屋で
わがままなのだろうということです。

一番近くにいて、
一番自分の感性にそう人が
自分の気持ちを理解してくれることに
あの日からずっと飢えているのだと思います。
兄がいなくなってしまったあの日から。

そしてそれは一方で、
己との対峙なのではとも思います。
兄だったら、と疑問符にして理由にして
実際には自分に問いかけているのです。
兄という形を借りて
自分を納得させているというわけです。

とんだ茶番なのかもしれません。
けれど私には必要だった。
嘘ではないけれど限りなく嘘に近いもの。
それでいて信じられないほど純粋なもの。

どんな夢想家も決して
綺麗事だけで日常を生きてはいけない。
だからこそその夢は美しいものになり、
そこに住む人は永遠の希望で、
それが私にとっての兄なのでしょう。

人は自分で決めて自分で歩いていくしかない。
代わりなどあるはずも無く
全ては自分の肩にかかっている。

嫌にもなりますよね、
失敗すれば誰かのせいにしてしまいたいし、
悩んで答えが出ないときには誰かに決めて欲しい。

それって誰?
誰ならいいの?
そう、だから自分に限りなく近い第三者というのは
願っても無い存在なのではないでしょうか。

兄はある意味楽観主義者でした。
いや、楽観主義者になりたがっていた
と言ったほうがいいでしょうか、
この世界では、
誰かと共有する場においては、
楽観主義者であろうと常に試みた人。

だから根明ではありません。
飄々として大人びていて
相手に何も求めない。
言ってしまえば本当は、
自分一人の世界に生きていたわけです。

そんな人がどうしてか
妹だけはひどく甘やかしてくれました。
兄がすでに大いなる補正のもとで
ありえないほど理想になっていたとしても
全然問題ない、それでいいと思っています。
とんだブラコンです。
でも言っておきましょう。
シスコンの兄とお揃いで嬉しい限りです。

そんな兄は今頃きっと
大きく肩をすくめていることでしょう。
だしに使われていると
呆れてため息をついていることでしょう。

けれどいいのです。
一人で勝手に決めて
さっさと行ってしまった兄に、
私をこの世界に残していった罰を
償ってもらいましょう。

美しい言葉と夢の世界を
私が描き出すためのツールとして、
決して枯渇しない原動力として、
私とともにあり続けることで。
 
大好きな兄へ、
今日もありがとうを贈りたいと思います。
そしてここまで読んでくださった方にも
ありがとう、心から感謝申し上げます。

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