【アルギュストスの青い翅】第15話 揺れる小舟の行き着く先
生きる意味なんか考えたことはなかったけれど、ひとりぼっちは嫌だって俺もずっと思っていた。世界の中に一人だなんて絶対嫌だ。だからあんなに悲しかったし怖かったんだ。でも次の瞬間、俺は自分の甘さを思い知らされる。
「二度と誰にも触れられない。一人で過ごす時間は恐ろしく虚しいものだよ。ただ息をしてるだけ。この世界にいても、時間が流れるばかりで意味がないんだ。永遠に一人とか、一体どんな罰だろうね。だから今、僕は猛烈に嬉しいんだよ、J」
さらりとそう言ってのけたヴィーの代わりに、俺が震えた。孤独、俺なんかじゃ太刀打ちできない絶対的な孤独。いや俺だけじゃない、きっと多くの人がこんなヴィーの辛さを本当の意味で知ることはできないだろう。
ヴィーの言葉は昨日今日でできたものじゃない。気の遠くなるような時間の中で、ヴィーが苦しみ悩んで考え抜いて、ようやくその先に見つけたものだ。それに比べて俺は……。あれもこれも、ヴィーがほしいものに恵まれているのに、まだ足りない、まだほしいと駄々をこねている。それなのにヴィーに当たり散らしてしまって……つくづく情けない。
「僕はね、今、心が痛くてたまらないJと同じ気持ちを味わいたい。おかしいよね。僕の両親は、体を蝕む痛みから僕を解放することに力を注いでくれたけど、僕は今、心を蝕む痛みを君と分かち合いたいと思ってる。君が泣いて叫んで、それで前に進んでいけるなら、僕は一晩中だって君といて、一緒に泣いてあげたいよ」
「……どうして。どうしてそこまで思えるんだよ……」
「それは、J、君が僕の特別だからだよ」
「特別? ヴィー……。頼むよ。俺は特別なんていらないって何度も言っただろ。ただのJでいいんだ」
さすがにもうただのセーゲルとは言わなかった。俺だって多少はやる気を見せている。なのにヴィーはさっきから何度も何度も……。俺は恨みがましくヴィーを見た。
「違うよ、J。特別を履き違えてる。僕の言う特別は、陳列してる高くて買えないものとか、ちょっと怖くて触れないようなものを指して言うんじゃないよ。大切なものって意味さ」
「大切なもの? 」
「そうだよ。世界の中でこれでもかって輝いてる存在、自分を揺り動かして、今を感じさせてくれる相手だよ。僕にとってJ、君は今まさにそんな人なんだ。ディカポーネなのも、Jの名前を継ぐ者なのも、髪の色も目の色も、全部君の印だけど、でも僕が必要としてるのはそれじゃない、僕の特別はそんなことじゃない。Jという存在そのものなんだよ。ああ、でも、あれもこれも違っていてくれると、遠くからでも君とわかるから、もっと都合がいいね」
ヴィーは自分で言っておきながら吹き出した。恐ろしく上機嫌だった。
「ねえ、J。わけがわからないって顔をしてるね。だけど君だってそのうち、そんな特別に出会うさ。君を揺り動かして、新しい道標を指し示してくれる相手。世界の中に飛び出して行って、君が君らしくあり続ければ、きっと出会える。まあ、ただ揺り動かすだけじゃなくて、ずっとそばにいて、感じていたいっていう相手が最高だけどね。できれば華奢で柔らかで、瞳がきらきらしてて笑顔がかわいい子とかいいよね」
そう言ってヴィーはもう一度笑ったけれど、俺はその言葉になんだか納得がいかなかった。俺が世界に出て行ってようやくそんな相手に出会えるのなら、ヴィーはどうなんだ。こんな情けない俺に特別だなんて軽々しく言ってはダメだ。
「ヴィー、だったら君こそいいのか? 人生を変えちゃうくらいすごいことなんだろ? ヴィーだってまだ狭い世界の中にいて、ちっとも外を知らないじゃないか。それに俺は、華奢でも笑顔がかわいいわけでもないぞ」
必死の切り返しに、ヴィーが弾けるように笑った。
「大丈夫だよ。J、悪い意味で取らないでほしいんだけど、うん、なんて言うか……僕は僕の世界の限界を知ってるんだ。だからと言って、なにも自分の人生を悲観してるわけじゃないよ。ただ、できることとできないことがあるってわかってるだけ。諦めなきゃいけないこともたくさんあったし、これからだってあると思う。でもその中でこれだけはって思うことを、いつか手にしたいって願ってた。それが君さ。君の存在が、僕の存在をなによりも意味あるものにしてくれたんだよ。約束なんだ。絶対に果たしたかったこと。だからこの出会いは僕にとって、奇跡みたいなことなんだよ」
完敗だった。これ以上言う必要はないだろう。俺を選んでくれてありがとう、と俺は心の中で何度も叫んだ。
ヴィーが誰かと心を震わすような約束をしたというのは、ちょっと、いやだいぶ羨ましい気がしたけれど、俺によってそれを果たすことができたという優越感が、心を満たしてくれる。なんとも簡単な俺……。でもヴィー絡みだったらなんだって構わない。ちっぽけな自分なんていくらでも、ヴィーの前に投げ出せる。
どうやったところで俺は俺としてしか生きられない。だけどヴィーが必要としてくれる。それなら俺は、ヴィーが好きだと言ってくれる自分を好きでいるべきだ。そう思ったら、がらんどうになっていた心の中になにか熱くて強いものが生まれてくるのを感じた。
投げつけたあれやこれやに返事をもらったわけではないのに、それらがみんな正しい答えを得て、すとんと在るべきところに収まって、俺という正真正銘の心が組み立てられていくような、そんな気がした。
うだうだ考えようがじとじと悩もうが、わからないから進むんだって胸を張って言えばいい。そして、それを受け止めてくれる相手がいることを何よりも誇りたい。
ぐちゃぐちゃした感情に押さえ込まれ、行くべき先を見誤り、自分をとことん嫌いになりかけていた過去に、俺は今決別する。
「なあヴィー、特別って言うのは一つだけなのか?」
「え?」
「華奢で柔らかななにかも、がつんと行き先を示してくれるなにかも、あったかい気持ちで寄り添ってくれるなにかも、たくさんあったっていいよな?」
ヴィーは俺の言葉に唖然とし、続いてたまらないとばかりに吹き出すと涙を流しながら言った。
「J、やっぱり君は本当に特別だね。なにもかも規格外で特別だよ。ああ、そうだね、いろんな特別があっていいんじゃないか? いろんな時間の中にいろんな特別、それでそれはみんな同じだけ大切なんだ。すごいなそれ、いいよ、いい。最高だよ」
「じゃあ、問題ないな。ヴィー、君は俺の特別第一号だ」
その言葉にヴィーはぴたりと笑いを止めて俺を見た。輝く満月のような瞳があふれんばかりに見開かれている。気がつけば、俺はヴィーに強く強く抱きしめられていた。
第16話に続く https://note.com/ccielblue18/n/nb48a0ed3969e
第14話に戻る https://note.com/ccielblue18/n/n9d455c4449d9
第1話はこちら https://note.com/ccielblue18/n/nee437621f2a7
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