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再休職の末にあてもなく退職したアラサーが漠然と海外にいる話


はじめに

 うつ病の診断を受けて休職し、「復職しました!」なんて投稿をしてからはや一年半、結局私は再休職し、退職し、なんだかんだあって某外国にいます。
(人生の再スタートとして海外行くぞ!なんて素晴らしい理由ではないです。笑)

 アラサーという言葉に縛られたい訳ではないですが、やはり周囲の人が結婚・転職・バリバリ仕事なんて姿を見ていると色々焦るお年頃。こんな無計画なアラサーもいるんだぞということで敢えてタイトルに入れてみました。
実は初海外だとか自動車教習所挫折したとか、書きたいことはたくさんありますが、ここでは再休職から退職までの経緯を重点的に書いていこうと思います。


復職→再休職→退職の無限ループに陥りそうだった

 前回の投稿で復職も悪いものではないですねなんて言っておきながら、約半年で再休職し、一年ほど休んだのちに数ヶ月前退職しました。

↓前回の記事はこちら

 再休職した理由としては、胃が痛くなったり意味もなく涙が出てきたり、一度目の休職直前の症状が戻ってきてしまったためです。どうも職場の雰囲気が息苦しく感じたのです。例えば、それぞれの席で行われているWEB会議の声、向こうの席で詰められている声、絶対に間に合わない納期、夜遅くに返信されているメール等々。昔はそこまで気になりませんでした、いくつかは昔の私がやってたし。
職場の部長や先輩は優しい人ばかり。それなのにこのような結果になった訳です。
これ以上この職場にいても「休職→復職→休職→復職…」の無限ループに陥ると思った私は上司に退職を申し出ました。でもここで上司は「焦って決めなくても。」と再休職を勧めてくれたのです。本当に、なんて優しいのでしょう。
かくして二度目の休職に入りました。


二度目の休職の過ごし方

 一度目の休職時よりマシな状態にあった私は、この間に転職活動をしてしまおうなどとよこしまなことを考え、程よく遊び、自動車教習所に通い(実技数回で挫折して退校しました…いくら回復してきたからといって心が不安定なのに教習所通いはお勧めしません!骨折しているのにスポーツするようなものだそうです!)、転職サイトに登録してエージェントと話したりしました。でも結局何も続きませんでした、ダメでした。その頃には東京の電車や人混みに疲弊するようにもなっていました。
 心に残っている心療内科の先生の言葉で、「東京では(いい意味で)ある程度の鈍感力も必要だ。」というものがあります。東京に暮らしている人が鈍感だという訳ではありません。私も昔は東京で楽しく暮らしていましたし戻れるのなら戻りたいです。ただ、一度気になり出したらなかなか戻ることは難しいのかもしれません。それとも、東京にいられなくなった私が私に言い聞かせたいだけなのかもしれません。


思わぬ海外暮らしチャンス

 このように職場にも東京にも適用できなくなり途方に暮れた私に、ちょっとした巡り合わせで海外暮らしの機会が訪れたのです。職場が見つかった訳でも家族が移住する訳でもなく、ただ「行くor行かない」のシンプルな選択肢が提示されたのです。まあ転勤とか転職とか、そういう機会で受動的に移動する選択肢が与えられることってありますよね。ここで、どうせ将来何もかも未定だしと思った私は、思い切って海外に行くことにしました。不安はたくさんあります。英語話せないです、生まれてこのかた日本から出たことないです、簡単に後戻りできないです、もちろんお金を稼ぐ必要があります。そして、またうつ病が戻ったらどうする?
 でも行くことにしました。いちばんの理由としては、お試しで3週間現地に行った際、あまりに環境が良くて体調が良くなったから。これに尽きます。あとは、休職してから目標や打ち込むこともなくダラダラと生きていた私にとって、何か予定ができるというのは、とても明るい希望に思えたのです。
 かくして私は6年ほど勤めた会社を退職し、一人暮らしの家も解約しました。長かった一人暮らしも終わり、さすがに大学時代から約10年暮らした東京を去るのは切ないものがありました。


これからのはなし

 思いのほか長い文章になってしまいました。そんな私のこれからですが、まだ何も決まっていません!今は観光ビザでの入国で働けないので、読書、散歩、料理とのんびり暮らしています。本を読みすぎてアウトプットしたくなったのでこれを書いているのです。めちゃくちゃ呑気なアラサーだなあと実感します。一応の計画というかやることはあります。働けるようになったときのために最低限の英語は習得する必要がありますし、流石に現地のお友達も欲しい。色々な申請も必要だし、人生の中で比較的大きな決断する時も近々やってきます。
 数年後どうありたい、どう成長したい、そんな真っ直ぐで前向きな心は今の私にはありません。わかっています、こうして数ヶ月でも呑気に暮らせて、海外という成長できる場所にいれることがどれだけ貴重なことか。でも私は、ただ何とかこの世界からいなくならないように、その時の自分の気持ちと向き合ったり戦ったりしながら、どうにか日々を過ごしています。

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