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ー10ー 1人とひとり。

※堕胎の際のことを詳細に書いている為、
かなりセンシティブな内容が含まれます。
特に女性の方は閲覧ご注意下さい。




泣きながら、エコーの写真を順番に並べてアルバムにしまった。
そして妊娠に関する本や、役所でもらった書類なども
アルバムと一緒に全て、1つにまとめた。

そして、入院の準備をした。
病院から渡された持ち物リストを見ながら。



ーーーーー遂に迎えた産婦人科の入院日。

勿論、彼はいない。

入院するにあたり、私の他、2名の署名が必要だったので
親にも、彼にも書いてもらえない私は

病院側に事情を説明し、何とか牧師さんともう一人の協力者に
署名をしてもらった。


握りしめてきた50万円を、書類と共に受付で渡した。


牧師さんと協力者は退席した。

そしてもう。
ここからは私とお腹の子のみ。

1人とひとり。



まずは診察。診察台に上がる際の緊張は計り知れなかった。
そこで1回目の子宮口を開く為の処置を行った。

私からは見えないが、ネジのようなものがガチャガチャと
回るような音がして、無理矢理子宮口を開き、処置を受けた。

涙が一筋流れた。


出血が出る為、吸水パッドを取りつけ、
専用のショーツを履いた。


それから、部屋に案内された。
2人部屋だったが、幸いもう1人は居なく、悠々と過ごせた。

私はベッドに横たわったまま、ずっと携帯でアニメを見て
過ごしていた。



そして、数時間後。

2回目の子宮口を開く処置をする為に、診察台に上がった。
1回目の時よりも更に痛く、
生理的に涙がポロポロと流れていった。

そこで、中に水分を含むと段々と膨らんでくる海藻
のようなものをいれた、と説明があった。

明日の手術に向けて徐々に開いていくように。


痛み止めで坐薬を入れてもらった。

昼食は素麺で、少ししか食べられなかった。
食事の写真を撮り、インスタグラムのストーリー機能を使って
私の親しい友人にのみ(10人程度)見れるように投稿し、

‘‘自分が話して楽になりたいとか、気を紛らわせたいだけなんだけど、
それでも重すぎる話を聞いてくれる人って私にいるのかな
誰に言っても気を遣わせちゃいそうで、ねぇ聞いてって言い出せない。‘‘

そう、投稿した。
誰からも、連絡は返ってこなかった。
誰が自分の投稿を見たか、見れる機能が恨めしかった。

みんな、自分のことで精一杯だよね。
しょうが、ないよね。
そう、自分に言い聞かせた。



入院中は、何回トイレにいったか
どのくらいの水分をとったか
メモを記していくように言われた

入院1日目の夕刻、痛みが出始めた。
最初は我慢できた。
私は痛みには強いほうではあるけれど。

しかし、段々と強くなっていく痛みに
耐え切れなくなり、ナースコールを押した。

坐薬の効果が切れてきたのだそう。
間隔を空けないと入れられないとのことで、
激痛に耐えながらその時間を待った。

冷や汗が止まらず、何も出来なかった。
室内が私だけでよかった。うめき声すら我慢できなかったから。

痛みを我慢しつつ夕食を食べた。
キーマカレーだった。
明日の為の体力の為に、少し無理をしてでも食べた。
結果残してしまったけれど。


時間になり、坐薬を入れて貰えた。

気づいたらシャワーを浴びられる時間を過ぎており、
温かいタオルを貸してもらい、自分で拭いた。

明日の朝、朝ごはんの時間の前に特別に
早めにシャワーを浴びられるようにしてくれるとの
ことだった。


ーーーーー夜。

明日の手術が怖い。
ここまできてやっぱり堕ろしたくない気持ち。
でも、もう後戻りは出来ない。

今まで赤ちゃんと過ごしてきた日々。
一緒に耐えてきた日々。
スマホアプリで赤ちゃんの成長を見てきた毎日。
診察の時にエコーに写る我が子。
少しずつ大きくなっていく我が子への想い。


色々な想いが夜と涙の中に混ざり合った。

勿論、眠れなかった。
発熱も出た。38.7℃まで上がった。
汗が止まらなかった。


ずっとアニメを見続けていた。

夜中、3時過ぎ頃


朝が早かったのと、一か月以上ほぼ眠れなかったのもあったので
流石にうとうとしてきた頃。

また。あの痛みがきた。
坐薬の効果が薄れてきた。

でも、まだ坐薬打てない時間。
ぎりぎりまで粘ってナースコールを押した。

呻きながらも横に寝返り、お尻のみをだして
坐薬を入れてもらった。


ーーふと思った。
なんで、私、1人でこんなに苦しんでいるんだろう?
痛みに耐えているんだろう?

段々と、彼を恨む気持ちが大きくなり始めた。


坐薬が効き始め、ようやく少し眠ることが出来た。
大体2時間弱くらい眠ったというか、ほぼ気絶していた。


朝、6時半頃に目が覚めて
7時になるのを待ってからシャワーを浴びた。

夜中にあった熱はいつの間にか引いていた。


浴びる時は、滑らないように細心の注意を払って。
浴室内には、何かあったらすぐ呼べるように
ナースコールの紐が垂れ下がっていた。
間違えて引っ張ってしまわぬよう、気を付けながら
シャワーを浴びた。


その後スキンケアをしている時も、
ドライヤーで髪の毛を乾かしている時も、

ずっとそわそわして気持ちが落ち着かなかった。


そして、朝食の時間。
ポトフとフレンチトースト、牛乳にデザート。

‘‘いただきます‘‘
お腹の子に聞こえるように言ってから、食べ始めた。

食べ終えたらすぐ手術に入るから
ナースコールを押すように言われていたのを思い出した。

お腹の子と一緒に食べる、最後の食事だね。

途端に、涙が溢れた。
止めどなくポロポロと、大粒の涙が零れ落ちていった。

私は涙を拭うことなく、朝食を食べ続けた。




怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。


でも、もう後戻りはできない。できないんだよ。
前に、先に、

手術に向かうしかないんだよ。


そう、自分に言い聞かせた。


ご飯はやっぱり完食は出来なかった。


持っていくものを準備してまとめ、ナースコールを押した。
‘‘準備できました‘‘

ベッドの端に座り、下を向いて待っていた。
握りしめたハンカチは、入院着のポケットにしまった。

陣痛室へ通された。

要は、強制的に子宮口を開いたところに収縮剤を投与し、
摘出して分娩となる。

つまりは、私はこれから出産するということ。
ただ、通常と異なるのは

生きた赤ちゃんには会うことは叶わないこと。




ーーーーーーーーーー

収縮剤の投与を受けながら、陣痛が波のようにくると
助産師より説明があった。
その波が強くなってきて、耐えられなくなってきたと感じたら
ナースコールを押すように、と。


30分程度経過しただろうか、言われていた波を感じた。

ただ、一向に波は引いていかなかった。
私は不安になってナースコールを押したが、
まだ耐えられる程度であった為、様子を見ることになった。

しばらくは痛みに耐えつつも携帯でアニメを見られる程度だった。

しかし、時間の経過と共に増す一方の痛みを感じ、携帯を閉じた。
冷や汗をかき、気づいたらベッドのポールの部分を強く握りしめていないと
耐えられないほどになっていた。

私のうめき声に気づいてくれた方が処置をしてくれた。
血中の酸素濃度と、血圧を定期的に計測し始めた。

手術を行う院長先生が来て診察してもらった。
「このまま、分娩台に上がりましょう。」

そう言われた。
私は痛むお腹をおさえ、助産師さんの肩を借りて
分娩室まで歩いていった。
とてもじゃないけど歩くことがしんどかった。


何とか分娩台に上がり、痛みで呼吸が乱れている私を見て
マスクを外してくれた。

自分ではもう何も出来ない状態になった。
されるがままに点滴を受け、常に酸素濃度と血圧を計測されていた

10分間隔で自動的に血圧が計測される。
その度に、血圧が低くて警告音が鳴っていた。

激痛に耐え続け、我慢できなくて漏れ出る私のうめき声が
段々と大きくなっていくのを自分でも感じていた。

そこで、筋肉注射で麻酔を受けた。
よく揉みこんでくれたのを覚えている。

耐え続け、耐え続け、涙が止まらなかった。


そして、突然
まるでぱんぱんに水を入れて膨らませた水風船が割れたような感覚がした。

これが、破水か。


その一瞬にして、猛烈な痛みが引いた。

‘‘あ、なんか出ました。‘‘
私は近くにいた助産師に伝えた。

吸水ショーツを取り替えてくれ、
その後何度か最初の一回の量ではないものの、
破水する度に報告し、取り替えてもらった。


段々と意識が遠のいていった。
血圧計が作動し、警告音が鳴るたび、
傍に助産師さんが居ない時はナースコールを押した。

仰向けで天井を見ると夜空に星が瞬いているように
青い光がきらきらと光っていて、それをみてぼぅっとしていた。

職場で、子どもの寝かしつけの際にかけていた、
オルゴール調の音楽がかかってきた。

働いていた場所、子どもを相手にしていたこと、
今の自分の現状。全てを総じて。

色々な感情が押し寄せてきては、涙となって零れ落ちた。


どのくらいまどろんでいただろう。

院長先生が診察に来た。
どうやら、本格的に手術に入るようだ。

脚を大きく開かされ、明るいライトで照らされた。


ーーーー始まる。

今までに感じたことのない程の痛みを感じた。

あまりの痛みに呼吸が荒くなり、声が漏れだした
‘‘痛い‘‘なんて言う余裕なんてないくらいに。

麻酔が追加され、気づいたら口には酸素マスクが当てられていた。


赤ちゃんが取り出されたところまでの意識はあった。

そこで意識がふっ、と
途切れた。


1時間くらい眠っていただろうか。
目が覚めた。しかし、頭は回らなくてただ天井を見つめていた。


しばらくして、助産師が来た。
「赤ちゃんと、対面しますか?」

‘‘はい‘‘
私はそう答えた。

そして、我が子と対面した。


手足がちゃんとあり、指も5本しっかりあった。
大きな頭。
目の位置も確認できた。
耳の形がしっかりできていた。


涙が溢れて止まらなかった。
声を上げて泣いた。
身体が震えるくらいに泣きじゃくった。

ーーーごめんね。
約束、破っちゃって。
死ぬときは一緒だよ、そう約束していたのに。

本当はちゃんと産んであげたかった。
私が幸せにしてあげたかった。
色々な世界を見せてあげたかった。
一緒に成長していきたかった。

でも。
私が弱いから、周りに頼ることもできないから。
国や市などの制度の助けを借りて、
1人で育てていける自信がなかったから。


ーーーーごめんね。
ただ、その想いしか無かった。

助産師さんが触れるかどうか聞いてくれ、
手袋をはめて、我が子に触れた。

身体の輪郭、耳、手足に触れた。
小さな、とても小さな手を。

優しく、握りしめた。


火葬の手配をしてくれる業者に自分で電話を掛けた。
予め前もって手術日を伝えていたので、スムーズに進んだ。
‘‘手術が終わりましたので、連絡致しました。‘‘

担当の人が来るまで、我が子と2人きりにさせてくれた。

我が子の写真を撮っても大丈夫か助産師に聞いた。
大丈夫とのことで我が子の写真を数枚携帯のフォルダに収めた。

助産師からツーショットを撮ろうか、と申し出があったが
断った。

そんな、記念撮影みたいな気分にはなれなかった。

せめて、確固たる証拠として自分の顔が少し写るように
我が子との写真を自分で撮った。


しばらく我が子と2人きりで、眺めたり撫でたり
寄り添っては涙を拭った。


そして、
‘‘もう、大丈夫です。‘‘
そう助産師さんに伝えた。
我が子を箱に入れて引き取ってもらう準備の為に。

しばらくして、業者の担当さんが来て挨拶をしてくれた。
気遣いの言葉がぐさぐさと刺さった。

今後の流れと、書類に目を通し
住所などの個人情報を記入して、印鑑を押した。


終えた後、
助産師さんが箱にいれた状態の赤ちゃんを持ってきてくれた。

白い箱の中央に、ふかふかのベッドのようなものがあり、
その上に我が子が寝ていて、
ガーゼで掛け布団が掛けられているようだった。

ガーゼをめくると、胸のあたりで手を組んでいて、
安らかに眠っているようだった。

ベッドの周りにはたくさんの花が添えられていて
‘‘ありがとうございます‘‘
私は思わずそう言った。


そして、火葬の日まで、業者が預かる。
それまで一旦、ここでばいばいだね。

離れる時はやっぱり涙が出た。




点滴が外され、陣痛室に移動した。
その後、診察を受ける為に診察室に移動し、
院長先生より夜ご飯の後に帰るか、もう一泊して翌日の朝に帰るか、聞かれた。

私は、夜ご飯の後に帰ることを選択した。

院長先生より、迎えは来るのか聞かれた。
私は、迎えは来ない為、タクシーで帰ろうと思っていることを伝えた。

病院側はさすがに驚いていた。可哀想だと思ったのか
特別に、病院の車で自宅まで送ってくれることになった。


その後陣痛室に戻り、夕食を頂いた。
その時に、事前に渡しておいた母子手帳が返ってきた。
出産の状態の欄を見た。

正確な出産の日時。
分娩所要時間の欄を見ると、3時間53分。
体重30g、身長15cm。

性別は不明だけど、恐らく男の子だっただろうと話を聞いた。


そして、帰路に着いた。

一泊しかしていないのに、自宅に帰ってくるのがとても久しぶりに感じた。
家の中は真っ暗。
私は、ただ1人で、独りの家に帰ってきた。

ーーもう、私は1人とひとりじゃない。
わたし独り。



痛むお腹を押さえながら、寝る準備を整え、布団に潜り込んだ。
目を瞑っていても、まだ鮮明に我が子の姿を思い出すことが出来る。

涙で枕は濡れていった。
そのうち、泣き疲れたのか眠りについた。


壮絶で、でもこの事や我が子のことを絶対に忘れてはいけない。
一生私は背負っていく。










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