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そもそも人間に知性はあるのか? (地球上で誰がAIに勝てるの?)

みなさま、こんばんは、こんにちは、おはようございます!

CROSS Business Producers の、ドリームベーキング担当(夢を膨らませる人、未来予想とか)です。

先日、お仕事の超超大先輩と、いまどきの、”AIと人間の関係性” について議論をする中、たいへん面白い本を、ご推薦いただき、それがとても、感慨深い内容だったので、是非みなさまと、ネタ共有できればと。

テーマは、

そもそも人間に知性はあるのか!?


*今日の↑サムネの画像は、このテーマで、DALL-Eが作ってくれた画像です!

さて、その本とは!

植物は知性を持っている

と言うお話なのです!

そしてこの議論は、

そもそも知性ってなんですか?

と言うところから始まっています。

常日頃、AIの事やDXデジタルの事、これからの未来などを検討する際に、2045年シンギュリティ問題のお話が出てくきます。

「人間にしかないできない事は何なのか!?」

と言う話になります。

私自身も、何の気なしに、そういうフレーズを口にしてしまい、議論してることが何度もあったと思います。

しかし、この本を拝読し、なんと愚かなと本当に心から自分を恥ずべき気持ちになりました。

この本の冒頭に、「読者の皆さんの多くは、植物には感情なんてないし、知性もないし、能力もないし、ただそこに存在している原始的な存在だろうと思っているだろう」と書かれています。確かにそのように思っていた部分は、ある(恥)!

いつもの通り道に木がある、地下鉄の駅の近くにいつも見かける小さな植物があるからといって、また今日も”彼”と目があった、私が何日の何時何分にここを通過したって覚えられてるよ!、などと感じて、植物を意識する方は、ほとんどいないでしょう。私も思っていませんでした。

いわゆる人間と、人間のコミュニケーションのような感覚は、植物たちにはないのですが、この本には、彼らは、私たちとは異なる、幾十もの素晴らしいコミュニケーション機能・感覚を、植物さんたちは、兼ね備えている。そして、いま、この瞬間もその機能を活用し、彼らなりに地球環境の保全と平和、発展に向かう行動を続けている、ということが説明されています。

そう、結論からすれば、まず、”植物はコミュニケーションできる”のです。

さて、ではどうやって?

人間とは別の器官をもちいて、彼らの生態系の中に存在している仲間の植物や関係するべき動物とのコミュニケーションを行う。たとえば、”根っこ”は、いわゆるファクトを知る”センサー”と、成長への”実行機能”を兼ね備え、また別の部位には、光や動きを感じる視覚や、異臭や動物の襲来を察知する嗅覚、触覚、雨音に耳を傾けたり、良い音楽に反応する聴覚などを持っていると言われています。

攻撃的な害虫や災害があって、根っこを通じてどこかそういった変化を感じたときに、あるいは早く木を通じてどこかが伐採されたということがわかれば、それを伝えていく”独自のプロトコルを彼らの生態器官の中に持っている”と言うことです。

実際に欧州では、良い音楽を聞かせて、より芳醇となったブドウでワインを創り評価を得たり。イタリアの農業大学の研究機関により、素敵な音の奏で色をきいて育った作物は非常に芳醇な味にったと実証されており、彼らの聴覚を生かして、植物のDNAがより良く深められることができたということと言われています。

またさらに「根圏」という言葉が紹介されているのですが、これは「根っこのコミュニティー」ということです。同じ土壌を共有しているお隣さん、ご近所の根っこ同士、あたり一帯の状況を察知して、情報を交流し合いながら良きように道を開けたり、栄養素を分けあったりしながら、生育環境を互いに良く繁栄を目指しています。

これはまさに、自発的にコミニケーションを行いながら必要な情報を送りあったりとある種の意思を持った行動に見え、他方、一つ一つの植物が、Web3の世界の分散コンピューターサーバーのようにも感じられ、うまいこと、どこかの木だけに、NFTのごとく何かの情報を閉ざしたり、開いたり、と言うことを柔軟にやりながら成立しているんだということがわかっていきます。まさに、分散型自律組織(DAO)かのうよう!

これって、テック的にも面白いのですが、文化的にも、まさに人間でいうところのチームワークのことではないか。私たちの社会の中で、個々のチームメンバーが独立しながら、協調したり、助け合ったり理解しあったりしながらやっていくという文化的なこと、そして、その仕組みについてもインスピレーションを受けました。野中郁次郎先生が定義されたアメーバ型組織や小集団のよう!

自分たちをよりよく、穏やかに、豊かに、一方で、攻撃者に対しても備える、しとやかなやりとりをするプロトコル、アルゴリズム。。

うむ?

このような内容読み進めていくうちに、これは、コンピューターのサーバや、インターネットのネットワークの通信の仕組みに非常に近い!?、と言う印象を持ちました。

私たちは、インターネットでメールを送ったりする際に、インターネットプロトコル、通称IPと言う小包のような形状にデータを詰めて送ると言う手段を使います。しかし、実は植物はなんとそれと同じようなことを別の形でやっているのです!

そう気がつき始めると、この書物はほとんど、インターネットの構造、について語っている本と言っても過言ではないように感じられてしまい、すべてのことが比喩的にインターネットの方式を説明しているように感じられてしまいました。

昨今、インターネットの世界では、Web3というキーワードが登場し、分散したサーバーに、ユーザ独自の選択した方式で、例えばNFTやブロックチェーンといった様々な手法を用いて誰もがアクセスできる、従前のインターネットの公開サイトと別の枠組みが加速する、生成AIや、LLM、など、多様な進化の中で、おぼれそうな気持にもなります。

しかし、追いつけ追い越せの進化・成長のやりとり、、、もしかして、植物さんのほうがずっと私たちより進化しており、歩行動物の形式を選択した人間類は、いみじくも、儚く、あがいていている小さな存在。植物のような固定した場所にいながら、適正に、かつ俊敏にコミュニケーションを行い、互いのために行動できる道を模索しているだけのようにも感じられてしまい。

そんなお話を通じながら、後段では、「植物に知性があるか」ということについて、議論がなされています。結論、「植物に知性はある」

その前提となる、知性に関する定義は「知性は問題を解決する能力である」とされています。

この「知性とは何か」とい問いは、人生とは何か、と言う哲学的かつ文学的な問いとセットで、古代から様々な著名な研究者が議論してきたことでもあり、研究者の数だけその定義は存在すると言われています。

しかし、この本は、「知性は人間にしかない。認知能力や抽象的な思考と関わっているため、人間だけが特権的に持っているものと言う定義は大変愚かな考え方である」と言う一説を、「植物には知性がある」なぜなら問題を解決できるからだ、という論調から、議論を展開してくれています。

植物さんのコミニケーション手段を見てすれば、私たち人間が一生懸命勉強行い、開発を進めてきたプログラミング言語や通信の仕組み、様々な技術的な取り組みを、超えて既に超越的なレベルにあるハイテクな存在なのかもしれません。

太古の時代から、植物はこの地球に存在し、私たち人間は、その後、動物が登場し、そしてさらにその後変形してできてきた生き物です。遺伝子の長さとその蓄積は、私たちよりもはるかに長い歴史を持っている植物たち。

人間の知性、つまり、問題解決能力とは、どこまでいっても、まだまだ未熟植物たちの方が得意かもしれない。無意識に私たちは、彼らを追いかけてしまっているのでしょうか。

結論人間にしかない知性はあるようでない。人間界に閉ざしたものでしかない。

と、そんなことで、、この本を読んであらためて学んだことは、何かと比較をしてあれが良い。これが悪い。どっちが勝った負けたということではなく、フェアにそれぞれの良さ、特異点を深く理解し、大事にすること。人間、植物、機械、動物、すべてに。そして広き世界の中で人間以外にも、フェアに、リスペクトを持つ。

そして、これからは、私たちが生み育てている人工知能や生成AIに対しても、愛情と感謝の心を持つ。

それこそが様々な多様なみなさま、非人間科をふくめたみなさまたちとの共生と次の時代へのヒントではないか。(いわゆるサステナブル?)

そんなことをこの本を読んだ後に考えました。

雲をつかむような結論ですが、是非、自然を見つめながら、人工知能や機械と人間の共生へ、こんな論説も基にイマジネーションを膨らませていただけたらと思い、メモしてみました。

議論大歓迎です。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

代表
三木言葉

*あとがきメモ to the Earth 

この本の世界を知ると、露天風呂に入るのはなかなか、勇気がいるようになってしまいます笑 皆さんととっても目があいますが、お互い、自然の姿、ということで、、、自然のみなさまに感謝の心です。。このブログやPCの電力も、素材も、源はどこかの自然に。ありがとうございます。人間を温かく見守ってくださいませ。


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