柿泥棒

2006年11月の日記から転記。



多摩ニュータウン付近を走っていると、柿の木が目につきます。
以前はもっと多くの木があったのですが、開発が進んで、数は激減しています。
それはジブリ作品の「平成狸合戦ぽんぽこ」などに集約されていて、緑豊かな里山が失われ、そこに暮らす生き物たちも消えました。

住宅難解消の名のもとのに、巨大団地群が次々と作られ、コンクリートの人工物ばかりが幅を利かせる光景は、バビロニアや、古代ローマのティムガッドや、現在のメキシコのティオティワカンにも似て、豊かな風土には見えません。
それらが廃墟と化したように、人口減少の進むこの国では、いずれ同じ運命をたどるのでしょうか。
戦後の自然破壊は、人間関係をも破壊しました。
人間の思惑や利害が対立すると、すべてが壊れてしまうような気がします。
そこに移り住んだ人たちも深刻な高齢化が進み、たった数十年前は家族団欒の夢のマイホームだったはずなのに、いまは独居世帯ばかりが目立ちます。
自然のサイクルが時間をかけて旧前に回復して行くように、いずれ廃墟となるコンクリートも、やがては自然に呑み込まれ、その使命を終わるのでしょうか。
モノを造るのも開発ならば、森を造るのも、それは今の時代、開発と呼んでも良いのではないでしょうか。

と大袈裟なことは思わず、あの柿をどうしようかと考えます。
どうしようか、というのは、数十年前は丘陵のあちらこちらに柿の木があって、どこでも獲り放題だったからです。
もちろん土地の所有者はいたはずですが、なだらかな丘陵の斜面や、藪の中には、放置されたまま?のたくさんの柿の木が、手つかずの姿で、毎年、放置されたままだったのです。
それがすぐ車道脇にあったり、道から見えるのです。
通るたびに、柿は色づき、熟していくのが分かります。
結局は昆虫や鳥やタヌキや、その他の小動物たちの食糧になるのですが、路肩に車を停め、彼らの上前を少しだけ頂戴していました。
頻繁に車が往来しているのですが、見咎めるどころか、誰もがまったくの無関心で通り過ぎます。
ちょうどいい食べ頃のものもあれば、いまにも皮が破れそうな熟柿もあります。
だから、秋に柿を買ったことはありませんでした。

私が柿で連想するのは、やはり子規の「柿食えば」の句です。
人口に膾炙されている作品ですが、素人の私には、この句の良さが分かりません。
分からないからこそ素人なのでしょうし、さまざまな解釈を目にもしました。
簡単なところでは、斑鳩を一日逍遥し、茶屋や宿に戻って、ほどよい疲れを感じながら出された柿を食べていると、法隆寺の鐘が聞こえて来て、飛鳥仏と対峙した余韻を噛みしめている、などの解説があれば、当時の子規が置かれている立場や環境に及ぶ評論や鑑賞も多くありました。
この十七文字だけで何が伝わるのか、なぜ柿と法隆寺の取り合わせで絶賛されてしまうのかと、素人の私が生意気を言ってみても、これだけ知られているからには、絶対無比の名句なのでしょう。

素人俳句が陥りやすいミスには、類型から脱却できない安易さがあります。
例えば柿ならば、素人は「晩秋に一個だけ、枝に残っている柿」を連想して作句してしまいますし、これが月ならば、必ず「月光に濡れる」という表現を用います。
柿が1個だけ枝に残っている場面などは、滅多にお目に掛かる光景ではないし、万物が月の光に濡れるのも、思慮不足で手垢のついた表現です。
それはちょうど、思考停止した雑誌の編集者やテレビマンが、「縄文人はグルメだった」と使うようなものですね。
かく言う私も、以前は、


みほとけの 裳裾を濡らす 萩の月


という駄句を作ったことがあります。
芭蕉の市振での句をパクッたり、何故かそれに仙台銘菓が合体して、何とも恥ずかしい典型的な素人俳句でした。
俳句というものは、つくづく難しいものだと実感します。
自分なりの表現方法を確立しなければいけませんね。



さて、俳句よりも柿です。
土地所有者には無断で、数年振りに柿泥棒をしてしまいました。
だから場所はナイショです。
まだ熟れる前の、いかにも美味しそうな柿です。
5個ばかり失敬して、自宅に戻りました。
皮を剥くと、ところどころに黒い粒々があり、見ただけで甘そうなことが分かります。
そしてひと口。
予想通りの甘くて美味しい柿でした。
これがもし渋柿ならば、干し柿を作るところですが、柿好きの私なのに、なぜか干し柿は苦手なのです。
まったく食べないわけではないけれど、噛んだ時の、あの、ヌチャッとした食感が楽しくないのですね。
(発酵させて柿渋を作るという手もありますが、それは老後の田舎暮らしが叶った時の楽しみにでも取って置きましょう)

ところで、柿を食べ過ぎると、便秘になると聞きました。
それは困ります。
でもたくさん食べたい。
そこで考えました。
私は乳脂肪分の多い牛乳をそのまま飲むと、おなかの中から遠雷が聞こえるのです。
だから柿を食べながら牛乳を飲めば、作用と反作用で均衡を保ってくれるのでは、と考えるのです。
それでも用心が必要です。
残りは4個。
一日1個ずつ、牛乳も少しずつ、としましょう。
何もそこまでして食べなくてもいいのにね。
そんなことに気が回って、俳句は出来ませんでした。

柿泥棒は窃盗です。
窃盗は犯罪です。
時効はいつなのか、そちらも気になります。
しばらくは、本官の悪口を書くのはやめましょう。

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