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鳥取で30年前の自分に会う

中学から高校時代を鳥取で過ごした。
卒業以来もう20年以上、鳥取の地に踏み入れることはなかったのはその時代が自分にとって暗黒の時代だったからだ。

中学校は人間関係に躓き、偏差値が以上に低い高校に進学したあとは不良だらけの集団の中で自分の身を守るのに精一杯だった。
ろくでもない時間を過ごした田舎。それが鳥取という土地なのだ。

その場所にもう一度行ってみようと思い立ったのは、育児もひと段落したいま、これからの人生をどう過ごせばいいのか途方に暮れていたからだ。

もう一度人生のどん底を過ごした場所に行けばその手がかりが見つかるのではないか、そう思ったのだ。

数少ない仲の良かった同級生から「美味い飯を食わせてやるからいつか来い」と言われていたので、連絡を取ってみるとトントン拍子に話が進み赴くこととなった。




仕事上がりに岡山駅から特急スーパーいなばに乗り込む。

鳥取県内は電車が走っておらず、今もディーゼル列車が街を繋いでいる。
高校へはJRで通学していたからか、久しぶりに乗るディーゼル列車の放つ騒音を体に浴びて、到着前から高校時代のことを少しずつ思い出していた。

鳥取駅前は住んでいた30年前と様変わりしていた。

遊ぶところが極端に少ないために暇さえあれば通っていたゲーセンは潰れ、本屋も跡形もない。
少しゲイっぽい店長が行くたびに可愛いからと、なんでも大盛りにしてくれていたレストランは看板だけが存在していた。

高校生だった自分が毎日見ていた街並みを成していたお店の9割以上は消え去っていた。

夜ホテルまで迎えに来てくれた友人からと人気の回転寿司に行く。
異常に厚く切られた海鮮のネタはツヤツヤと光っていて美味かった。
ハイボールを片手に腹いっぱいに寿司を詰め込んだ。

直接店員さんに声をかける注文のスタイルが、タブレットで注文する近所のスシローに慣れきっていた自分には新鮮に見えた。

その後友人から行きたいところがあるかと聞かれたので
「昔住んでいた街並みを見てみたい」
と答えた。

車を街中から郊外へと走らせる。
夜の闇に浮かぶ風景を見ていると、心の奥底に沈んでいた朧げな記憶が次から次へと浮き上がってきた。

チャリで駆け回っていた街や同級生と過ごした日々、生まれて初めての彼女とのお出かけ、親密な人間関係から生み出される連帯と孤独感、将来に対する期待と不安。

高校時代が嫌で嫌でしょうがなかったことを車の中で友人に告白すると、思いもよらない返答があった。

「おまえ高校時代は楽しそうに見えたけどな」


過ぎた日の街並みを眺めながら忘れ去られていた記憶を手繰り寄せると、暗黒の時代の中にも、小さな光があった。

休日を彼女と手を繋いで歩いたときには感じた手の温かみや湿度。
退屈をやり過ごすためだけに一緒に過ごした友だちとの何も生み出さない時間は何故が充実していた。

吹奏楽部の演奏の中で初めて感じられた一体感。コンテスト出場のために放課後にスタジオを借りてしていたバンド練習。

30年の歳月を記憶の奥底に埋もれていたそれらの感覚が体の中に一斉に蘇った。

あのような新鮮な感覚や親密な人間関係は、今後の人生にはもう起こり得ないのではないか。
そう思うと心が沈んだ。

ホテルに戻り、オーバーヒート気味の頭をコーヒーゼリーで冷やして眠りについた。



2日目の朝早めに起きて、カメラを片手に高校生だった自分がよく通っていたであろう道を1時間かけて散策した。

駅前はところどころにお洒落な店があり、以前に比べればだいぶんカルチャー色がある。
そのことが一層時間の経過を強く感じさせた。

迎えにきてくれた友人の車に乗り込み、鳥取砂丘に出かける。
馬の背と呼ばれる小高い砂の山に登ったあと、砂の美術館を見てまわる。
その後は卒業した高校に赴き、賀露港にある水産物屋に併設している食堂で海鮮を食べた。

湖山周辺の道路にはUNIQLOやすき家、イオンなど以前には存在しなかった企業インフラが十分すぎるくらいに整えられていて驚いた。

その後コナン空港のすなばコーヒーで一服する。
空港の中にはコナンの人気キャラクターのマネキンが至る所にあり、飛行機の利用者よりもコナンファンでごった返していた。

停泊している飛行機を眺めながらふと、同じ歳で独身の友人に今後の人生についてどう考えているか聞きたくなった。

今の生活をどう思っているのか尋ねると
「十分満足している」
という答えが返ってきた。

飛び上がるほど楽しみなことはないが、仕事も趣味もちょうどいいくらいで、今の生活を今後も続けていきたいと考えているようだった。

そういう生活に落ち着けている友人を羨ましく思うと同時に、自分は今後の人生に期待しすぎて苦しんでいるのかもしれないということを考えた。

鳥取駅まで送ってもらった際に友人から手土産に粘りっ子という自然薯に似た芋を渡される。

お互いに「また会おう」と声を掛け合い、家路についた。




朝、駅前をひとり歩きながら、高校時代の不器用な自分が考えていた記憶の断片を一つずつ思い出すことができた。

高校生のまだ何も知らない自分は、これから色々な人と出会うことで価値観や考え方が変わっていくことに期待していた。

人と繋がり共有した体験を、時間という器の中に蓄積していきたい。
そのためには自分がどういう人間関係に所属しているのかが重要で、所属先を移動しながら色々な人たちと時間を共有していきたい。

そうすれば、いつか素の自分がのびのびと生きて行ける場所が見つかるのではないだろうか。
高校生だった自分は、居場所を探し続ける旅のような人生を思い描いていたのだ。

そういう思いは自分に子どもができたことを境に途切れていた。
育児が一区切りついたいま、再びそのような道を歩き始めるのだろうか。


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