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民主主義をもっと向こうへ。プルスウルトラ!

本を読み進めながら日記です。

第4章「プロジェクト中心の民主主義:アイデアとプロジェクトのエコシステム」を読んでいます。

民主主義は単に、社会的対話のための中立的な道具ではない。いわば「学習できる体制」である。民主主義はまた、個人及び小さなグループでの経験を、コミュニティ全体で共有される価値と行動に変換する。だからこそ、新たなアクティビティ、共同的なプロジェクト、民主主義的な活動が行われる基盤となる公共財を活性化できるのだ。(P167)

少し、怖いことのようにも思う。
この学習という言葉。これはどこに向いているのだろう。
いわずもがな、一人ひとりの個人にだ。

民主主義のコストには、この学習が一番大きいのではないだろうか。共通言語を持てないと議論ができない。ここにものすごく時間がかかる。労力もかかる。ここを乗り越えないと、どうにもならない。

そのジレンマは、今日各種メディアを席巻している「ちょっと煽った見出し」に集約される。だれもがコンマ何秒で判断したがっている。共通言語は浅く狭くなっていく。

ここに民主主義は無い。
として、だれがその学習コストを支払うというのか。

という課題に、直面していくのだろう。
それはもう、一つ一つ丁寧にやるしかない。
価値観を共有・・・するために価値観をつくっていくところから。

でも、これはちょっとうれしい。
その向こうを目指せ!
と、言ってくれるなら、頑張れる気がする。

※プルスウルトラ(もっと向こうへ)は「僕のヒーローアカデミア」で主人公の通うヒーロー学校の校訓。の方です。僕はあれを、力の向こうではなく、思考の向こうだと解釈しています。今思いつくそれを限界としないで、もっと向こうを想像して、創造しろというメッセージだと。

昔のブルースが歌うような「素晴らしい世界」とはちょっと違う。

かつてあった懐かしのどこかではない、これから築いていく今だかつてないかなただ。

そう思うと、学習が重くのしかかる。
多分、一人で学んでも意味がないことで、この場合座学とかではなく、行動して得る経験値のようなものだと思う。

民主主義は、公共財と同じように完全に達成されることはない。社会を民主化するプロセスを通してのみアプローチできる。・・・中略・・・われわれが民主主義を進めるためには、抽象的なものごとのあり方を表す「民主主義」から、具体的なプロセスを示す「民主化」へ、つまり名詞から動詞に注意を移していくとよいだろう。(p164-165)

なんかあんまり民主主義とばっかり言っているとそういう活動家みたいになっていくんですが、でも、意思決定のプロセスをアップデートしていくところに答えがあると確信しています。

逆に言うと、意思決定のプロセスが問題なんです。
そこにどれだけ時間をかけられるか問う問題かもしれない。
「未来を証明しろ」という最近よくある短気な議論では、これはどうにもならない。少数派のままになってしまう。
時間をかけて立証を積み重ねていけばいい。と、ちょっと楽観的に考えてみたいです。

プルスウルトラは、信じる心だと信じて。

写真は今回もunsplashより


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