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とどのつまりは「気配り」w いやでもそれがいいです

本を読みながら感想日記です。
これを読んでいます。

第二章「ライフプロジェクト:自律とコラボレーション」、やっと完了。

言葉の意味を確認しておきます。「ライフプロジェクト」は人生をデザインして実行するようなニュアンスで、「コラボレーション」は文字通り、他の人と共通のテーマに取り組むことです。
ザックリですが、だいたいそういうことです。

で、コラボレーションの意味などいろいろ説明しているなかで、こんな一文があってうれしかった。

コラボレーションを実行するライフプロジェクトに引き込まれる一番の理由は、具体的な成果を得られることに関心があるからではない。本当の理由は、まさにこのタイプのプロジェクトがコラボレーションを志向していることで生み出されること。つまり、人づきあい、信頼、共感の価値に彼らが気づいているからだ。(p110)

そいうかんじでいいんだ。っていう喜び。
結局そこなんすよ。
人づきあいの価値って、実際当たり前にありすぎてよくわからないんですよね。具体的にこの人…友達、家族、取引先、同僚、恋人、ライバル、憧れの存在・・・関係性はいろいろですが、そのつながりをバラバラで考えがちで、俯瞰して人間関係ってあまり見ていない。
いや、見たくない。

なんか、見ないでおきたい。
でも、そこの価値を評価しないことには始まらない。

AさんとBさんの関係は1.5だな、みたいな事ではないんですけど、でも例えるなら同じ基準で判断できるようにして、数値化は単なる比喩なんですけど、トータルで250だな、みたいな比較検討できる状態で考える。

昨日よりも、明日の関係性のほうが良くなるようにって、そういうことですよね。数値化ではないと思うんですが。

コラボレーションで最もはっきりとかかるコストは、グループをつくるために必要な時間と気配りための労力だ。(p110)

気配りのための労力。。。。

そうですよ。このコストと、得られる価値は意識しないとですよね。

これを考えないと、コストの前に挫折しちゃうし、コストを乗り越えるインセンティブを見失っちゃう。

結局、コミュニティは面倒なんですよ。

以心伝心というわけにはいかな。

何かを決めるにも、意見調整が必要になってくる。
1人で決めることに比べると、いろいろ面倒。

関係性の価値を過小評価しても、
関係性のコストを過小評価しても、うまくいかないんですよね。

それがブリコルール(DIYとかあり物で上手に作っちゃう人のこと。)的な手法で、状況に合わせながらどんどん組み上げていく方法でコミュニティを作るって、意思確認がとても大事にってことですよね。

これがいかに理想形であっても、そのコミュニケーションスキルが低いとどうにもならぬということでしょ。

ふと思ったんですが、引きこもり人見知りデザイナーにコミュニケーションスキルを付与するよりも、コミュニケーション得意な人にデザインスキル付与するほうが楽なんじゃなかろうかw

それは冗談ですが、関係性をデザインするのは楽しそう。

意思決定、決まったことの共有、変更するときのルール・・・。
そういうことのデザイン次第ってことは、どういうツールで連絡するとか、どうやって情報共有するとか、まさにいまスマホを中心に起こっているコミュニケーションの変化で、コミュニティのデザインも変わっていく。

社会も変わっていく可能性がある。

写真はunsplashから頂きました。


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