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意見を言うツールはそろってきた。で、入り口に立って扉の開け方がわからない感じ。

本を読み進めながら日記ですぅ。

第4章「プロジェクト中心の民主主義:アイデアとプロジェクトのエコシステム」を読んでます。

ざっくりいいますと、インターネットがいろいろなものの距離感を変えていくなかで、社会的な意思決定も、より直接的な話し合いがベースに変わっていくというお話です。

でもこの「直接」というのがまだまだ難しく、声の大きな人や短文の見出しを作るのが上手な人の意見が、あまり深く難が得ないままに広がる。

人々は、仲介者なしで、場所や時間を選ばず自由に、すぐに対話できるように、高い接続性が人々を直接結び付けることで、これまでに例のない代理人不在モデルと、これまで唱えられてきた直接民主主義が容易につなげられて考えれるようになった。結果、直接民主主義のシナリオが出来上がった。(p176)

特に最近、この傾向は強くなっていると思う。
事の真偽はともかく、「見出し」について議論される。
アフィリエイターがアクセスのためにつけた見出しであっても、いちど広がり始めるとほかのメディアもそれに便乗する。

ある意味、とても平等に公平に、だれも意思決定をしないまま、その情報がいったん多くの市民が知るべき情報の地位を得てしまう。
だれも意思決定をしないまま。

民主主義では、何を議題にするかはとても重要なのに、まずそこが良くわからないことになっている。メディアは市民が関心あるといい、市民はメディアが取り上げているという。

「無難」が単に問題の先送りであったとしても、そこには注目されないで、情報がまるでそれ自身に意思がある生き物のように扱うことにしてしまえる。

だからこその、ブリコルールなんだと思う。
要は、課題に時間をかけるという事なんだと思う。
社会の運営に、市民はもっと調べて、考えて、行動して、意見を言うという苦役を提供していくしかないんだろう。

ちゃんと考えれば、うまくいく。というのは楽観的するぎる。
そこもまた、ブリコルールなんだと思う。
考えるスキルを磨かなくてはならない。

そうしなければ、現在の様に、

辿り着くのは、人々が事実無根のアイデアを日増しに膨らませ、表層的で単純化した意見を交換するような民主主義の状況だ。これではモンスターが生まれてしまう。(p178)

という事になってしまう。

今日もまた、だれが誰をさばくのかわからない、曖昧な裁きがネットやメディアを席巻している。意志決定とはとても言えない、なぞの民意がはばをきかせる。あれでは多分、重要なことは決断できない。

民主主義はその向こうに行かないといけない。

なんだろう、この、入り口に立って扉の開け方がわからない感じ。

それでも前に進んでいっている人たちはたくさんいらっしゃる。実践的で、行動先行で、目の前の課題に一つ一つ取り組む方々。

そんな方々が使えるような、コミュニケーションのデザインを考えたい。そういうデザイナーになりたい。

コミュニケーションのスピード感とか、レスポンスとか。多分体験を伴ったり、きっと、ネットの「いいね」とか「既読」のスピード感と、手紙や対面のスピード感と、複合的なデザインが必要で、プレゼンテーションができる環境が必要で、オープンな議論の環境と、クローズド・・・無用な横やりが入りにくい仕組み・・・が必要で、ファシリテーターが必要で。。。


画像はunsplashでいただきました。


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