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自分の頭の中にあるイメージを人に伝えるのにデザインが必要。でも自分の頭のかのイメージをデザインするのは難しい。

本を読みながら感想日記です。
ただいま第4章「プロジェクト中心の民主主義:アイデアと、プロジェクトのエコシステム」

ここであらためて、最初の定義。
公共財に社会的なもの、人々の関係性や居心地の良さも含むってのが気になってきました。所有権が公共機関ではないものというだけでなく、場所とか物ではないものまで含む、というやつ。

世の中はすごく物質的に恵まれただけではなく、一人ひとり、個々人の考えを尊重するようになってきた。まだまだ家業を継ぐ自由に縛られている人はたくさんいらっしゃるけど、全体として、多様で自由な社会に向かっている。

でも同時に、自由を持て余し気味でもある。
まだまだ過渡期だと思うけど、すでに。

人生夢を持ってなんて強調する言葉で世の中、教育の現場まであふれているのはまさにその証で、夢に何かを託さないと自由ではいられない。

自分で自分の夢を見つけろとか、目標を持てとか。
自由がとても不自由に定義されて、とても窮屈なものになる。
なぜか、みんな成功しなくてはならないらしい。
何か成さないといけないらしい。

同時に清く正しくあれとも言われる。
これは日本独特かもしれないけど、理屈よりも雰囲気が重視される。
それがやさしさの根源でもあり、窮屈さの一因でもある。

この雰囲気も、公共財だと思う。
でも、この公共財は、意思決定ができないという弱点を持っている。
空気の濃淡でしか表すことができないので、白か黒かはっきりしない。
この空気の中で、夢や目標を持てと言われても、何の違和感もない人もいれば、窒息しそうになる人もいる。

もっと多様であるために、もっと自由であるために、民主主義をアップデートしないといけない。幾重にも重なるコミュニティで、ちょっとした意志決定をきちんと決めれるようにならないといけないと思った。
境界のない雰囲気の複合体こそ、まさに日本のデザインかもしれない。だから、何もかも白黒はっきりさせてもいけないと思う。

曖昧で境目のない模様の上に、線を描いていくようにして、曖昧さにも更なる曖昧さをつくりつつ、レイア―を重ねるようにして多層な社会のイメージがちょうどいい気がする。なんか、言葉がうまく出てこないので、これ多分後で自分で読んでも意味が分からないと思うのですがww

色とりどりの花が咲く広い丘のうえに、何層にも地上絵をかくようなイメージです。部分だけでも意味があるものが、いくつか重ねるとまた違った表現になるようなイメージ。

例えば僕は町並みは美しくあって欲しいと思う。でも、そのために国家が土地をコントロールするのは絶対反対だ。個人が所有をしつつ、それぞれが考える美しい街を目指すのがよくって、その結果思ったデザインにならなくてもいい。それよりか意思決定プロセスが大事だ。自由で、多様な意見を出し合って、そして合意する。

人々の会話を誘発することにより、民主主義の基礎となる公共財を作り出す。考えを聞いて比較することができる場、つまり言語とディスコースだ。この言語とディスコースが公式な次元、つまり民主的な議論が交わされる代表制の次元に、プロジェクトとアイデアを持ち込む。網の目のように織り交ぜられた言語とディスコースから持ちかけられることを、民主的な議論の場で絶えず対話し続けるのだ。これを「プロジェクト中心民主主義」と呼ぶ。(P161)

うん。ディスコースってなんですか。
ぐぐろ。
言説という意味ですか。

対話ですよ。
意見を交わす力、そしてまとめる力。
このデザイン力。
こういうことが共通言語として語られるようになれば!

ということは、考えを伝えなくってはならない。

それって、結構難しいですよね。

頭の中のイメージを言葉にできる力。
これも一種のデザイン力、というか、デザイン力を発揮するための言語能力。これがむつかしい。なかなか伝わらない。

このスキルを高めていかなくてはならない。

デザイン能力を高めるには、デザインを伝える言語能力・・・共通認識があれば方言のようなものでもいいとは思うが、それでも、いざとなれば伝わる表現ができないといけない。言葉でなくてもいいのかもですが、言葉は言葉で必要なはず。

※写真は毎度unsplashよりいただきました。


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CavyCraft(佐々木堅次)
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