見出し画像

1995年(平成7年)あなたは何をしていましたか?

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(BiH)の首都サラエボから
こんにちは!zdravo

今週は雪が毎日のように降っていました。

厳冬ぶりが想像できます

街中は積もらないのですが、山から下りてくる車は相当な雪を屋根に乗っけていらっしゃるので、きっと校外は寒いのでしょうね。

市街のコンクリート上の
雪はすぐ溶けます
寒々しい教会屋根の積雪

サラエボはご存じ(妙齢の方々は)1984年の冬季オリンピック開催地であります。当時はまだユーゴスラビア社会主義連邦共和国でした。機会があればその件もnoteでご紹介できればと思います。

サラエボ市には20以上のミュージアムがあるとのことです。

ライフワークなので、今後このブログで追って紹介します。



スレブレニツァの悲劇と虐殺

GALERIJA 11/07/95 

ホームページを訪れてるだけでも、衝撃を受けるでしょう。

外看板
ギャラリーの場所は市内中心の大聖堂の隣にあります

‎「ギャラリー11/07/95」はスレブレニツァの悲劇と虐殺で亡くなった8372人の記憶を保存することを恒久的な目的とした展示スペースです。常設展は、画像、地図、オーディオ、ビデオ資料など、幅広いマルチメディアコンテンツを通じて、1995年7月にボスニア東部の小さな町で起こった悲劇を芸術的解釈に転じて記録公開しています。

驚かすわけではないのですが建物がひどく老朽化してます

ただし、入口は一転、モダンなギャラリーです

ギャラリースタッフは若くて英語も堪能で大変親切でした。
私は大きな荷物を持っていたので、預かりますよと仰ってくれて、フリースタイルで鑑賞ができました。日本語は勿論、様々な国のオーディオガイドも用意されています。

平日なので鑑賞者はまばらでしたが、若い鑑賞者達が熱心にドキュメンタリーを見入っていました。

身元確認を待つ遺骨

上記は全て写真家Tarik Samarah氏の作品

Samaraha氏はドキュメンタリー写真" Srebrenica-genocide at the heart of Europe" 直訳すると「‎‎スレブレニツァ‎‎- ヨーロッパの中心で起こったジェノサイド」プロジェクトに年月を費やし、ワシントンDCのホロコースト博物館、NYの国連ビル等で展示活動をしています。

日本では認知度が低いスレブレニツァの虐殺ですが、ネット上でも知ることが出来ます。様々な角度、立場の人々がいるので私はコメントはできません。

"あなたは1995年に何をしていましたか?"日本は平成7年で、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件があり、日本も国内で手が一杯の非常事態でした。

日本でも第93回アカデミー賞 国際長編映画賞ノミネート『アイダよ、何処へ』が今年上映されたので、BiHに関心を持つ人が増えたかもしれません。


お食事🍚情報

豚の生姜焼き

 豚の生姜焼きが食べたくて、市場で肩ロースをお願いしたら「本日骨付きのみ」と言われました。

とにかく、スライスしました

醤油事情


どこの国へ行っても醤油はあるので、いつも通り持参せずにBiHへお伺いしたら、昭和レトロの卓上醤油しかありません(米国で立体商標登録されている)

アメリカと同じくらいの
金額です

 キッコーマンじゃなくても「もうちょっと気の利いた海外ブランドが無いかな」と見回したところ珠江橋牌 老抽王醤油(中国醤油)があり、買いました。

中国醤油に砂糖を加えさらに濃縮した醤油で、ツヤとこってりとしてコクが煮物や麻婆豆腐の仕上げに日本でも人気ですよね。

あまり醤油は使わないので、卓上醤油と、中国醤油を使い分けていく予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?