サラエボの町は、トルコ+オーストリア
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボ市から、おはようございます!dobro jutro
日本との時差は現在8時間です。
ふらっと町歩き
市民の人々はとても質素でコンサバファッションです。
奇抜で華美なファッションは目立つので、地味目がオススメ
しょっちゅうスリ未遂に合いにもあうので、持ち物はしっかり持って街歩き開始です
手作り地図MAPで説明すると
市街地は1878年からオーストリア・ハンガリー帝国支配時代の建物が立ち並び、その佇まいはウィーン風情ですが、
オールドタウンはさらに時代を遡って、1463年~1878に支配していたオスマン・トルコ時代の建造物が異国情緒を誘います。
Sarajevo Roses/サラエヴォのバラ
「サラエヴォのバラ」は、1992年から1995年にかけてのサラエボ包囲戦で、数万発の手榴弾が街に落ち、アスファルトには「花」のような特徴的なマークを残しました。
戦後、これらの「花」は、市民が都市包囲戦の恐怖の記録として赤い樹脂で塗りこめました。街の所々で見かけます。
旧市街地はムスリム色
Gazi Husrev Bey’s Bezistan(屋根付きの市場)
オスマン帝国時代には、織物や金銀ジュエリーがココで生産され、販売されました。1540年代に建てられ宿泊場もあり、サラエボ貿易中心の複合施設でした。1879年の火災で大きな被害を受けた後、大部分が焼失。現在は復元されて全長105メートル、幅19メートルの屋内ショッピングモールとなり、お土産物屋さんが軒を連ねています。もしかしたら、銀製品のアクセサリーが格安で買えるのかもしれませんが
ボシュニク人というムスリム系が半分を占めるサラエヴォ市民は、スカーフを被る女性や、アラビア文字の看板を目にし、モスクからアザーンが流れるので、中東に住んでいた私は郷愁にかられます。外国の支配を受けたり、ユーゴを形成したり、国境線を頻繁に変えながら現在のBiHに至っているので、文化も雰囲気も複雑です。
Gazi Husrev Bey's Library(図書館)
1537年この図書館はイスラム科学の研究機関として設立されました。今は、新しく綺麗な図書館です。コレクションには、約10万の原稿、書籍、雑誌、アラビア語、トルコ語、ペルシャ語、ボスニア語、その他のヨーロッパの言語で書かれた様々な文書が含まれています。
その後、チトー通りを歩いていたら、帽子屋さんを見つけました。
Šeširi i kape Janko Hlpka(帽子屋)
Šeširi i kape Janko Hlpka - Home | Facebook
ヨーロッパ人とサイズを比較したらまずもって困難。
試着してもハットはまったく頭に入らず困難。
お食事🍚情報
オールドタウンにとても気に入っているレストランがあります。
Restoran Careva Ćuprija
Restoran Careva Ćuprija - Sarajevo - Baščaršija (restoran-carevacuprija.ba)
気に入っている理由は、
1.禁煙
2.お店の人たちがフレンドリー
3.伝統料理がとても美味しい!
4.アンティークインテリアが可愛い
「禁煙にしているから経営は難しいけど、1人の喫煙者の為に料理も雰囲気も楽しめなくなるから」とお店の人は言っていました。
サラエボで禁煙レストランは英断です。
でも、外国人相手なら逆に有利です。逆張りで正解
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?