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【部下を推す話】[23] 「サラサラでした。」

「ねこのさん」

呼ばれて顔を上げた先には部下のAが居た。普段ならばわたしは誰が相手でも目を見て話を聞く。
しかし、その日は違った。わたしの視線はAの目より更に上に吸い寄せられてしまう。

「〇〇についての書類を〜…、」

目の前でAが喋っている。前日に教えた業務についてやってみたので確認して欲しいのだと言う。
話の内容は耳に入っている。しかし、どうしてもAの頭上に目が行ってしまう。
視線が合わないわたしにAは怪訝な顔をした。

「わかった、今見るよ。」

そうAの隣で返事をしつつ、わたしはじっとAの後頭部を見てしまう。

ー寝癖、まだついてるな。

Aの後頭部の髪が一部跳ねていた。Aが喋り、動く度にぴょこぴょこと揺れている。



Aの寝癖。朝の挨拶をした時から気になっていた。
いつもスーツも持ち物もぴっしりと決めてくるのに、Aは寝癖がついていることが何故か多々あった。髪には無頓着なのかも知れない。
それでも普段は始業してから1〜2時間後には直っているから、自分で気付いて直しているのだと思っていた。
しかし今日に限って直っていない。朝会ってから数時間経ったにも関わらず、だ。
わたしの真隣でAの髪がぴょこぴょこと跳ね回る。-気になり過ぎる。

ふと、以前Aが「誰にも言わないで下さいね。」とナイショ話をしてくれたときのことを思い出した。Aと約束したので内容については秘密なのだが、そのときに「何か気付いたことがあったら指摘し辛いところでも是非教えてください。」と頼まれたのだ。

Aのことだ、数時間後に自分で気付いたとしたら挙動不審になるに違いない。それはそれで面白おもしろ…いや可愛いので見てみたい気はするが、近い将来に恥ずかしさで悶える可能性が高い部下を放置するほどわたしはまだ鬼畜ではない。
わたしは意を決して、自分のデスクに戻るAの背中を追い掛けた。

「ねぇ、ちょっと。」

Aが椅子に座ろうとしたところで声を掛ける。
振り向いたAに小さい声でそっと「後ろ。寝癖っていうか、髪が跳ねてる。」と教えると、Aは自分の頭に手を伸ばした。微妙に違うところを触っている。

「ごめんね、ちょっといい? ここ。」

見兼ねてわたしは背伸びをした。Aの跳ねてる髪に手を伸ばし、何度か手櫛を通す。
Aも跳ねた髪を整えようとその場所に手を伸ばしてきた。
そこでやっと隣のデスクから部下Bが一連の様子を見ていることに気付いた。我に返る。時が停まった。

-わたし今、部下の髪を普通に撫でたな?

自分で驚く。うっかり猫たちに接するのと同じ感じで動いてしまった。
尚、Bの視線は「何処のお母さんですか?」と言っている気がした。残念ながらわたしには産んだ記憶はとんとない。
Aの様子を伺うが、特に気にしていないようなので安心する。

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普段のわたしは絶対自分から他人ひとにはれない。今のご時世だから、というのではなく、昔からそうだ。わたしのコミュニケーション方法にはボディタッチという選択肢が欠如している。
潔癖というわけではないが、基本的には自分からは他人に触れない。何なら家族の手にすら触れない。例外は動物たちやわたしが余程気を許した相手のみだ。
幼稚園の頃は父母とも手を繋いで歩いた。小学生の頃は親友が常にくっついていたい子だったので授業の時以外は腕を組まれていたのがデフォだった。それも自分から手を組みに行ったり繋ぎに行ったりしたことはない。

そんな感じだから、他人から触れられると態度には一切出さないが内心は酷く驚いていたりする。誤解を招かぬように言うが、決して触れられるのが嫌なわけではない。触れるのはこちらに親しみを持ってくれてるから、ということを理解はしている。
それでもかつて異動前のフロアで同僚に握手を求められたときも恐る恐る応えたし、「ねこのさん、疲れてるねえ。」と現在の同フロアの同僚が肩を揉んでくれたときもやはり一瞬だがビックリした。

-ていうか、自分から他者に触れるってハードル高くない?

学生時代に肩を叩いて激励してくれたサークルの先輩、前職で頭をポンポンしてきた同期、「ちょっと肩貸して」と新卒研修でじゃれてきた末にわたしの背中でメモを取り始めた美人の同期、etc.エトセトラ
わたしに親しみを持ってくれていたことを嬉しく思う一方、彼等はわたしと同じ生物だったのだろうかとも思う。

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わたしが「自分が他人に触れた」という事実に一種の感動を覚えていたそのとき、目の前ではAが乱暴に自分の髪を払っていた。あっという間に寝癖が直る。
その衝撃的な光景のお陰でわたしの感動はすぐに吹っ飛んでいった。

-この短時間で、手櫛で寝癖が直るだと…?

世の大半の人間が嫉妬する髪質ではなかろうか。非常に狡い。何をしたらそんな髪になるのか、心の底から教えて欲しい。

後にAファンクラブ会員のBに「ヤバイよ…何で手櫛で寝癖直るのよ…。でも確かにAの髪すっごく髪質良くてサラサラだったわ…。羨ましいんですけど」と報告することになった。

「それ見てて思いました…羨ましいですよね…。」
「ねー。」

結構本気で髪の手入れについては気になるところなのだが、後から「髪の毛どう手入れしてるの?」とか聞くのもなんか気持ち悪い気がして聞けていない。



因みに、Aの髪の触り心地が何かに似ているなと思ったら、うちの上から2番目の猫だった。2番目はツヤツヤさらさらで非常に毛並みが良い。
わたしの頭の中で『2番目の毛並み ≒ Aの髪質』という式が出来上がってしまったので、今後はうっかり無意識のうちにAの頭を撫で始めないように気を付けようと思っている。

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