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【部下を推す話】[17] 優しい君の無事を祈る

その日は朝から調子が良かった。
通勤時は道が空いていてすいすい通れたし、前日のわたしが翌日のわたしにと課した丸一日分のタスクは午前中で終わった。
部下のBはお休み、かつもう一人の部下Aも普段より少し遅い出勤だったにも関わらず、わたしはハイペースで仕事を終えていく。普段から業務処理の速さは自負しているが、いつにも増して速い。相当調子が良かった。
この分だと、溜まっている仕事も前倒ししてだいぶ解消出来るだろう。わたしは更にペースを上げ、ノリノリで仕事にあたっていった。



雲行きが段々と怪しくなってきたのは昼過ぎからだった。

わたしが昼休憩に入ったのは14時頃だった。
Aに休憩に入る旨を伝え、デスクを離れて休憩スペースに移動する。
休憩に入った途端にデスクの電話が鳴り、代わりに電話を取ってくれたAの声が聞こえてきた。

BもAも声が良い。2人の電話対応の声を聞くのがわたしは好きだ。
Bは美声を落ち着いた調子で発する。-聞き惚れてしまう。
Aは伸びのある声を柔らかく優しく発する。-癒される。
Bなどは電話のたびにわたしに褒め倒されている。

-そういえばAは電話の時に褒めたことなかったな。

電話以外のところで褒め倒しているけども。
今度電話のとき突然褒めてみようか。Aの電話対応の声を聞きながら、わたしは遅い昼食を摂り始めた。

昼食後、まだわたしの休憩時間は半分ほど残っていた。いそいそと持ち込んだ道具を取り出し、レースを編み始める。

先程のAがとった電話は同フロアの別職種の3年目の子が担当者だったらしく、彼女が対応する声が聞こえる。漏れ聞こえた話から察するに、そんなに難しい話ではなさそうだ。
彼女の上司-つまり同フロアのもう一人の管理職であるわたしの同僚は居ないが、この分なら大丈夫だろう。
わたしはレース編みに再び没頭した。

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休憩時間を終えて戻ると、Aがすすっと寄ってきた。
Aはこの後、至急の案件で同フロアの別職種の社員と一緒に外勤に行く予定が入っている筈だ。
この後の予定の報告だろうとAを見上げれば、正にその通りだった。
「すぐ出られそうなの?」と聞けば「同行者の用意が終われば」と言う。時間を読みかねているらしい。時間は既に15時過ぎ。
わたしの休憩前から準備をしていた筈だがどうしたことか、と同行職員を呼び出して進捗を聞く。…あと30分ほど掛かるらしい。
「30分後には必ず出発する方向で間に合わせて」と伝え、再び同行職員を作業に送り出した。

息をくわたしの隣にAが並ぶ。
どうしたのかと真横を見上げる。

「…いや。明日絶対自分が詰められるな、と思って。」

目線でAに続きを促す。

「明日ねこのさん居ないし、この状況について○○さん (もう一人の同フロアの管理職のことだ) に絶対自分が詰められるじゃないですか…。」

とAが苦笑いを漏らす。

「Aはしっかりしてて優しいからね、みんな君に頼ってしまうのよ。わたしもそうだけど。」

大丈夫?と続けて聞く。

「たぶん大丈夫とは思いますし、前ほどでは無いのでそんなにご心配をお掛けする程では無いとは思うのですが…」
「わたし、Aのことは今はそんなに心配はしてないよ。前は心配してたけど。
君がいつも出来る限りの対応をしてくれているのをわたしは知ってるからね。」

たぶん、わたしは凄く優しい顔をしていたと思う。AもBも本当に可愛く思っているので、頼られると心からの笑みが出てしまう。
大丈夫だよとAの肩をポンポンと叩く。

「何かあったらわたしに言いなさいね。」

ありがとうございます、と言うA。
Aの信頼を感じてとても嬉しい。こういう不安もどんどん言って欲しい。君らが不安なら、その不安を出来る限り排除するのもわたしの仕事なのだ。

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「ねこのさぁん…」

夕方近く、わたしは声を掛けられた。わたしは訪れた管理部門の管理職と話の真っ最中だった。
Aはまだ外勤から戻って来ない。少し距離がある場所への外勤だったから想定内だ。
管理部門の職員に「失礼します」と声を掛け、振り返る。
昼間の電話対応をしていた3年目の女の子だった。

「どうした?」

聞けば、なんと昼間の電話の件の相談だった。
思わず時計を見る。あれから2時間以上経過している。
最初の電話以降、関連する取引先と3〜4回電話でのやり取りを行なっているのは知っていたが、何も言ってこなかった為てっきり解決したと思っていた。漏れ聞こえた話はそんなに難しいものではなかった筈だ。
社会人3年目だし、自分で対応と報告が出来るようになって欲しくて任せていたのもあるのだが…2時間以上というのは少し時間が掛かっている気がする。
どうやら今まで《取引先と電話→外勤中の彼女と同職種の先輩や同僚たちに電話を掛けまくって相談》以下ループ、を繰り返していたらしい。
方法は兎も角、頑張っていたことは窺えた。
時計を見れば17時近い。取引先の定時も近い。
致し方ない。最後まで手を出すつもりは毛頭無かったのだが、これ以上は取引先に迷惑が掛かってしまう。
わたしは彼女の代わりに電話に手を伸ばした。

……。
…………。

10分とかからず話が終わってしまった。

ーえっっっいやこの2〜3時間、本当に彼女は何の話をしていたのだろう???

経験値の差かも知れない。しかし、これは間違いなく翌朝にAがもう一人の管理職に詰められるだろう。そっと心の中でAに合掌した。
わたしは翌日休みで居ない。そして担当の彼女だけに任せると不安だ。主に、全く無関係なAに被害が出る気がする。それは何としてでも防がなくてはならぬ。
わたしはちょうど戻ってきたAも含めたフロアの職員全員を集め、今後の対応と手順について指示を飛ばした。



そして、わたしは残業をしていた。

ー昼前まではあんなに調子が良かったのに、不思議過ぎる…。

幸い、前日に課したタスクは解消している。
しかしそれを上回る業務量なのだ。管理部門の職員が訪れる前に前倒しして始めた仕事が終わらない。
そんなわたしと一緒にAが残ってくれていた。

「帰らなくて良いの?」
「今日は大丈夫です。」

疲れているだろうに、そんなことを言う。
そうこうしているうちにわたしの仕事がキリの良いところまで終わった。
片付けを始めると、Aも少しして仕事を切り上げ始めた。
いつもAはさり気なくわたしと一緒に残ってくれる。そして、わたしが帰るタイミングに合わせて一緒に退勤する。
部署全体で業務量が多い為、Aも抱えている業務が多い。しかし、それ以上に気を遣ってくれていたり心配させてしまったりしているのだろうな、と思う。
Aに申し訳なさと感謝を同時に覚える。
件のAは何事もなかったかのような、さも当然というような涼しい顔をしていた。

そういうところ! そういうところよ!!
最高に可愛い。ねえ何でそんなに可愛いの???


Aよ、わたしをキュンキュンさせるんじゃない。
また距離感が逃げてしまう。


外に出れば雨が降っていた。昼間は晴れていたのに。蒸すけど嫌な雨ではない。

「明日、頑張ってね。」

いつもありがとう、と感謝を伝え、Aの乗るバス停で別れた。
翌日のAの身の安全と職場の平和を祈っていたら雨はすぐ止んだ。だからきっと翌日も大丈夫だと信じている。
…信じてはいるが、2日後は早めに出勤しよう。そう心に決め、わたしは帰路に就いた。

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