シャンフルーリ「日本の諷刺画」第11章: 行く日本、来る日本
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日本の諷刺画は、この本に載せた様々な絵から分かるとおり、皮肉よりも奇想や奇矯と結びついている。風俗情景、愉快な調子で描かれるリンパ質の国民性、厭味よりも人のよさをもって描かれたオランダ人やイギリス人の略画は、ヨーロッパで諷刺画と呼ばれる辛辣な藝術と完全に対応するものではない。
日本の貴族に対して攻撃的な筆鋒が向けられていると断言する旅行者もいるが、それは非常に婉曲的で、遠まわしの暗示であるに違いない、わたしが目を通した多くの絵の中にそのようなものは認められなかったからだ。ごく僅かな翻訳の試みを別として、諸外国と同様フランスでも日本の文藝は現在ほとんど知られておらず、日本の庶民的な言い伝えに入り込もうとするならば、大量の紙片を解明するため、直観的な目を持たねばならない、と言ってよいだろう。
しかしわたしは、象徴的な揶揄という形で、日本の過去と未来を描いた真の諷刺画を、偶然にも見つけることができた。
フランスはこの帝国に法律学者や法学教師を派遣し、フランスの民法を日本に導入している。士官は自分の部隊を離れ、ヨーロッパ式の戦術を日本にもたらし、軍隊を訓練している。任ぜられた医師は、天然痘や梅毒を放置しないよう教えている。パリのカルチェ・ラタン〔学生街〕では、若い日本人がフランスの学問を難なく身につけ、ビュリエ〔当時の学生や娼婦がよく出入りしていた舞踏場〕には行かず、ソルボンヌとコレージュ・ド・フランスの講義を同時に受けているのが見られる。おそらくこうした若者は、たまたまイタリア通り〔19世紀パリの目抜き通り〕で出会ったフランスの流行や魅力に些か追従しすぎであり、暁斎の筆を刺激した、というのも大君の国の堕落した青年は、東京や横浜の通りでも、流行の「三つ揃い」を着て、「山高帽」をかぶり、先の尖ったエナメル靴を履いていたのだ。
暁斎の絵(241頁の挿絵を参照のこと〔挿絵省略〕)〔『狂斎百図』〕を詳しく見れば、それが実にはっきりと分かる。ただ、その諷刺は少し反動的なものだ。
近視眼的で、現在のために未来を犠牲にし、そのうえ好意的すぎる色眼鏡で過去を見るのは、ある種の諷刺家に特有の欠点である。
暁斎は、現在の情況で、政府の布告による改革に反対なのだろう。貴族たちに苦しめられたのだ、それは幾らか彼の落ち度のせいでもある。
名前を明かさぬよう約束した、ある事情通の方は、日本の天皇が暁斎の軽妙な絵を面白がり、宮中に呼んで自分の肖像画を描かせた、とわたしに語った。絵師は仕事に取りかかり、四つん這いになってヨーロッパの強国の大使に尻を叩かれている天皇を描いた。
謁見は、もちろん直ちに下された投獄命令によって終わることとなった。その猿は取り繕った顔をしてみせたが、当然の報いである。
前述の主題について、暁斎は君主を傷つけずに持ち前の大胆さを発揮することもできた。わが国の諷刺画家のように、時勢と挌闘し、ある人々の傾倒や、別の人々の抵抗を描いてもいたのだ。
そう、この社会の変化、西洋の流行の氾濫には、日本から出たことがなく、日本は充分に文明化していると考える老人の不満を掻き立てるものがある。しかし、とりわけ愛国老人の額に甚だ皺を寄せさせ、眉を鋭く吊り上げさせたのは、幾つかの選ばれた中隊〔近衛兵のことか〕に着せられたフランス式の軍服である。金属のボタンと固定された右襟のついた外套、色つきの肩章、勅令に従って切られた髪と髭は、寛衣や慣習や伝統に忠実な日本の古老たちに嫌悪感を抱かせた。
暁斎は、そうした恨み節を、機智をもって表わした。自国の真似鶫に助力を求めた〔実際に描かれているのは烏。『狂斎百図』より「うのまねするからす」〕。アリストパネスが喜劇『鳥』で用いた騒々しい擬音語は、奇妙な軍服を目にした鳥の嘲笑する叫び声を、上手く表わしている。
「エウエルピデス――おい!おい!何という鳥だ!
ペイセタイロス――おい!おい!何という鶫だ!何という囀りだ!何と大きな声だ!
エウエルピデス――あれは俺たちを脅かしているのか?どうだ?嘴を開けて俺とお前を見ている。
コロス――ポポポポポポポポイ……チチチチチ……」
(『アリストパネス喜劇集』より)
日本の鳥は、鋭い声で、欧化した日本人に、どのような運命が待ち受けているか、冠羽を叩いて悲嘆の仕草をする鳥の指差している荒れ狂う波間にどうやって消えることとなるか、告げている。
――こうして由緒ある国が最悪の敵である文明開化に敗れて潰えるのだ、と、二本の刀を差した老人が、椅子の上で屈みながら叫んでいる。
それは、1868年に日本で起こった革命が、封建的な旧体制を滅ぼし、仏教僧侶の財産を没収し、帝を王座に就けたのち大名たちを廃位したから、また、ヨーロッパの政体の模倣や、鉄道や電信を敷設するために甚だ増大する支出と減少する公的収入が、旧習を墨守する人々に衝撃を与え、日出づる帝国のあらゆる制度が「夷狄」の借物になってしまうという危機感を抱かせたからなのだ。
軍服を着込んだ若い日本人は、そうした不満を聞いて肩を怒らせている。さらに、パリふうの装いをした魅惑的な女性が、優しい励ましの言葉を囁いている。
この作品の巧みさは、原画では鮮やかな色づけによって一層よく引き立てられているのだが、それを充分に示せただろうか?
この絵師は、「老いぼれ」の反動的な不満など意に介さないヨーロッパの影響力を、わたしの説明よりも上手く描いているように見えた。
(訳:加藤一輝/近藤 梓)
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