シャンフルーリ「日本の諷刺画」第2章:雨しょぼ
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あるフランス人の旅行者が、東京に着いたとき、夕食のあと友人たちと茶屋を訪れた。日本の茶屋とはヨーロッパでいう宿屋や喫茶店のようなものだが、違いはというと、感じの悪い「給仕」の接客ではなく、若くて美しい、いつもにこやかでとても礼儀正しい娘が、旅行者をもてなしてくれることだ。外国人一行が入るとすぐ、4人の可愛らしい藝者が立ち上がり、雨が踊り、つまり「雨の舞」を踊った。
この娘たちの名前ほど美しいものはない。モモタロ〔Mommotaro〕とは桃の花。コデン〔Koden〕とは御香の匂い。トクマツ〔Tokumatzu〕とは美徳の精髄。クマン〔Kuman〕とは詩情の夢〔表記は引用元に合わせた。名前と意味が対応しておらず誤解があるようだが詳細不明〕。
「この4人、片手に扇子を、もう片手に小さな紙の傘を持った娘たちよりも優雅で艶やかなものなど考えつかないし、夢見ることもできない。わたしたちの前で、何とも珍しい踊り、とても生き生きとした寸劇を、歌いながら披露してくれた」と、報告者は記している。
「「雨の舞」とは、こういうものだ。何人かの若い娘が、外へ出かけ、首都の街中を気取って歩こうと支度している。見事にめかしこみ、扇子で遊びながら互いを褒め合い、皆を振り向かせる自信があった。表に出ると、たちまち大きな雲が地平線に現われる。さあ大変だ。娘たちは傘を広げ、可愛らしい顰めっ面を幾つも作り、素敵な装いが台無しになったらどんなに困るかという様子を見せる。雨がぱらつき始めた。娘たちは歩を速めて引き返す。雷が鳴って大雨の襲来を予告している」
「いよいよお待ちかね、4人の踊り子は着物を大掴みにすると、腋まで一気にたくし上げ、さっと身を返して走り出す。するとたちまち、小さな震えるお尻の列が露わになって、一目散に逃げてゆくのだ……」(エミール・ドーディフレ『ある世界旅行家の覚書、世界一周の旅:パリから東京へ、東京からパリへ』1880〔Émile d'Audiffret, Notes d'un globe-trotter, course autour du monde : de Paris à Tokio, de Tokio à Paris〕)
きっと〔ローレンス・〕スターンをも笑わせるであろうこの寸劇について、わたしは報告者の言うに任せてきた。しかし日本のどの画集にも似たような藝は描かれておらず、些か疑わしく思ったので、この「雨の舞」の詳細が正しいのか公使通訳に尋ねたところ、このように答えてくれた。
――この話を伝えている旅行者は信用に値する。ただ附言すれば、この踊り子たちは東京で、フランスにおける第一級のオペラの演目と同等の評判を得ているが、その舞は内輪でしかやらないのだ。金のある外国人は、踊り子を呼ばせて、その舞にべらぼうな額を払う。しかし行き過ぎはよくない、風変わりな振りつけが奔放だからといって踊り子たちが尻軽だと思ってはいけない。
踊り子たちが身振りで演じる卑猥な寸劇は、フランスでは「あけすけな」という言葉が意味するような日本人の気質に適ったものだ。
日本人は過激な冗談を好み、そこに混ぜ込まれた猥雑な要素を何でも喜ぶ。さらに言えば、ほとんどアダムとイヴのような状態で生活するのが下層階級の慣わしとなっており、羞恥心から男女の裸に気分を害することはないので、混浴の銭湯で出会うと特殊な種類の悪戯が起こるのだ。
――雨に関する別の喜劇をお望みか?通訳は続けた。それは日本人の幸せな性格の証となるだろう。ある晩わたしは軽業師の小さな芝居小屋に入った。その一人は5歳の子どもと一緒にバランス技をやっていた。小さな男の子は驚くほど着飾り、楽しげな顔や愉快な声や手拍子で観客を惹きつけていた。
最後に軽業師は、前方の観客席を二つに分ける花道へと進み出た。子どもは軽業師の頭の上に立ったままだ。そこで回転する技の安定感を示すため、小さな日本の道化師は突然、近くの観客に、フランドルの小便小僧から放たれるような液体をかけた。
軽業師は、この天然の水の恵みを多くの観客に与えようとしているかのように、花道を進み続けた。日本人は、思いもかけない雨に濡れたひとでさえ喜びの極みにあるようで、それを拭うと、公演を見ていない友人たちに軽業師の新しい発明を話しに行くのだった。
観客の表情や笑いから、本当に劇的な成功が安上がりに得られるものだと思われた。もっとも、その子どもが公演のたびに繰り返すつもりだったかは分からないが。
日本の曲藝師が観客に対してこのような勝手を働くことは、それについて日本に滞在していた様々な旅行者の話が一致していることから確認できた。陰気な人間が眉を顰めたとしても、古代の語り部から現代の大画家まで、ヨーロッパにおける類例を示すことは難しくないだろう。
レンブラントは、鷲となったゼウスによる『ガニュメデスの誘拐』を描いたのではなかったか?
美しい子どもは、雲上で服を捲られ、あまりの動揺を天然の雨で表わし、それが空を越えて人間の頭に降り注ぎ、恵みの露と信じられたのだ。
このふたつの逸話は、日本人の天性の陽気さ、どんな予期せぬ光景にも見出す喜び、生きてゆく上での細々とした災難に耐えるべきときは耐えるという哲学の証拠となるものだ。
(訳:加藤一輝/近藤 梓)
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