山田菊『八景』第五部「浜辺」

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鎌倉

まどろまじ
今宵ならでは
いつか見む
くろとの浜の
秋の夜の月
和泉〔正しくは菅原孝標女『更級日記』より〕

12世紀から15世紀まで、将軍家の首府、封建政の中心であった。

今日では釣り人の村となっており、わたしは夏の住まいとして日曜日ごとに東京から通っている。

ゆっくりと曳かれる茶色の網や、焚火、揺れる海藻、丘のほうへと傾いだ松を、よく知っている。

豊かな稲田の匂いを吸いこみ、川にかかる橋の下、葦のあいだに船灯を探した。

わたしは砂浜で踊った、心地よいハワイアンギターと海に光を振りまく月のせいだ。

鎌倉では沖から強い風が吹いてくる。その風が富士を露わにし、ひとつの惑星として隆起させた。曲がりながら湾を掘り、わたしの髪を吹きあげ、着物をはだけさせる。舟の帆や鳥たちを引きつれて葉山へと去る。

このあたりで、海水浴客や縁日が水平線に背を向けてごった返している海岸からは離れよう。

古都にはもっと皆さんのお気に召しそうな景色が他にある。

旅館では、好古家や写真家にまぎれ、陶藝家とその仲間たちの向かいで、「父と子たち」、親子丼、米に乗せた卵と鶏肉を食べる。

しだいに喧しくなる蝉の声に急き立てられながら食後の休憩を済ませ、下駄の物憂げなカスタネットを従えて店を出る。

彼らが庭に戻ってくるときは、しばしば打ちのめされている、高波に洗われたのだ、そこでは仏陀が鎮座して山の静寂を集めている。

地面の揺れに少しよろめくと、背中は冷たいが、寒さに震えるでもなく、近くで閉じて枯れそうな蓮の匂いを嗅ぐ。

雪の中にアラビア頭巾をかぶった黒人が見える、巨大な陰画だ、その姿を現像してみたい。

次に見たときは、膝の上に花咲く梅の枝を持っていた。胸から鼻へと見上げていったが、わたしは夜の横顔が好きだ。

瞼を閉じると、こうして持っているものだけが存在する。だから、もう庭に慈悲の女神のポスターは見えない、寺院むけに売りに出された観音のことだ。

わたしはとりわけ長谷の大きな木造観音が好きだ。

丘のてっぺんに古い藁葺の家がある、刈り入れを全部そこに乗せたようだ、そして大きな空洞の灯籠。遠くには動く白に縁取られた青い入江が見える。頭上には二重に葉をつけたいちょうや赤く色づいたライラックがある。

わたしは観音をよく知らない。果てしない闇、巨大な幹に茂る葉、そしてとても高いところで金色の頬に沿って垂れ下がる灯明のほかに、顔を上げて何を見たのだろう?

わたしは、怒りよりも相手を圧倒する優しさの神秘を、言葉なしで学ぶ。

高台には御影石の井戸があり、冷たい水が顔の火照りを鎮めてくれる。

鎌倉、ここにはまた樅林に隠れたおあつらえ向きの別荘がある。ときおり、明け方、美しい女性が、裸足で、女中のような浴衣を着て出てくる。彼女は独りではない。

ここにはまた「貸家」と斜めに貼紙された板張りのあばら家があり、もはや化粧もしない沈んだ薄幸の女が住んでいる。

わたしは一ノ鳥居で、暑さと日差しの中、屋台をひとつひとつ冷やかして回る。内輪の楽しさに丘全体が姿を変え、幸福が音楽を響かせる、そこに隠れた豪邸、ただひとりの持ち主の家がある。わたしはお金が服を着て人を連れているような浜辺の旅館は嫌いだった。

他にも宿を知っている。谷間の奥で、黒くて背の高い玄関に皇族が到着する。乾いた針の散らばる通りに、従者たちが平伏して出迎え、灯りが家紋を照らす、将軍の時世のようだ。

けれども、リムジンが停まると、わたしは長いこと特別な寂しさを感じた。わたしは鎌倉の鐘を聞く、ゆったりとした釣鐘だ。前の晩に泡をはねながら去っていった飛行艇が恋しくなった。

そのエンジン音は、いかに鐘の音と違うことか……。

八幡

ゆきかへり
八幡筋の
かがみやの
鏡に帯を
うつす子なりし
与謝野晶子

海から松並木が見える、この街では松は桜よりも倍の数ある。陰陽の原理を忘れないようにしよう、雌雄がこの世を均衡させるのだ。

何段もある硬い階段の先に、戦の神たる八幡の宮の重そうな屋根が見える。

鳩の羽ばたきが、ゆっくりとした矢鳴りのようだ。

1219年のある晩、若き将軍実朝が高位任官の御礼参りを済ませ、階段を降りていた。蝉のような仰々しい衣装で、夢見心地だった。戦乱の世も啀みあいも好きでなかった。実朝は和歌を詠んだ。

出でていなば
主なき宿と
なりぬとも
軒端の梅よ
春を忘るな

階段を降りきらないところで、ちょうど登るのと同じように降りていると、ひとりの男が大楓〔伝承では大銀杏とされる〕の陰から飛び出し、首を斬り落とした。

石の鳥居をくぐるとき、この地の対照的なことがよく分かる。

単調な階段を、刀に落とされた歌人の首が転がってゆき、二度と見つからなかったという。

青銅の巨像(誰が日本の「小物」の話などするだろう?)は、頭上に空を求め、藁の覆いを水か火に向かって吹き飛ばす。

巨大な黒い聖母、観音は、ヨーロッパ人もアジア人も日焼けしている浜辺を嫌っているのだ。

詩情や荒々しい情熱、美しい細部や永遠の原理といった論理的でないものを味わうのでなければ、鎌倉で日曜日ごとに何をするというのか?

逗子

「猿の宿」、土曜の夜2時まで、恋する猫のような三味線の音。左手には藝者と来た成金が休んでいる。

それから縁側に沿って共用洗面台の部屋があり、銅の蛇口と歯ブラシが輝いている。

肩を寄せあって手ぬぐいで顔を擦る。ピンクの石鹸が花の香りをたてる。

湯殿はふたつ、女湯と男湯だ、まだ縄暖簾が入口に上がっている。浴場に向かう途中で3人の若者がそれぞれ小さな盥に腰かけているのを見た。身体を洗い、お喋りしているが、目を上げはしない。

素朴で落ち着いた雰囲気の中、わたしは「猿の宿」を出て浜辺へ行った。

秋分の美しい波が、天の歩みのように打ち寄せてくる。

波は広がり、重なり、青緑色で、滑らかだ。壁のように真っすぐで、ギャロップのように騒がしい。最初の波が崩れてガラスのように砕けるとき、水平線の向こうから次の波がやってくる。海全体が動いて起き上がる。

浜辺には誰もいない。右手には、離縁された浪子が身を投げようとした岩礁が濡れている〔徳冨蘆花『不如帰』〕。ワラジムシは一斉に割目の奥に引っこまねばならない。消えることができたら!太陽の下、石の上で灰色に震えてひしめいている。そうなるとわたしは、それを跨いでウニを集めたりタコを突いたりしに行く気がなくなる。

和風と洋風の別荘の間を、ひとびとは壁づたいに平たくなってすり抜ける。半裸で、油のひかれた紙か藁をかぶっている。わたしの友人たちもこの眺めを面白いと見に来ているようだ。話すこともできないほど波しぶきが顔に飛ぶ、けれども青年たちが3人、その脚に混じって女中ひとりが、泡を飛び越している。

波乗り遊びに夢中なのだ。水の壁に立ち向かい、壁と一緒に投げ出される。波の砕ける音が彼らをこちらの砂の上へと運んでくる。歯は貝殻のように白く、波が彼らの目を痛める。

海辺に沿って秋の日が江ノ島の橋まで照らし、長く明るい砂浜が大磯国府津から続き、太平洋の大波が日本へ押し寄せる。

わたしの知らない遠くの世界からやって来ているのではないか?

どうしてわたしに分かるだろう?

世界の波が、この日本の岸辺に、三波ずつ止まるのだ。

(訳:加藤一輝/近藤 梓)

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