私が保護猫サロンオーナーになるまで①22年間の保護活動と自己紹介
はじめまして、ゆりと申します。
保護猫たちを個人で20匹以上育て、東京都目黒区(都立大学駅前)に保護猫サロンCAT LIVINGをオープンして4年の歳月がたちました。ほんの一部ですがそれまでの保護活動をぜひご紹介させてください。命を守るお仕事をしたいと思う皆さまの参考になりましたら嬉しいです。
東京・桜新町の公園で親子7匹を保護、はじめての保護で大家族に
『ニャー!だれか助けて!』
すごい猫の鳴き声にふりかえると、通行人の足に次々としがみついて必死で助けを求めている様子の母猫に遭遇。
その横には、まだ生まれたての、手のひらサイズの赤ちゃんが7匹、ダンボールの中にいて1匹はすでに息をしていない…
出産直後に捨てられた緊急事態をすぐ理解し、覚悟を決める間もなくはじめての保護に!
大家族になりました。
猫のために実家を出て新居で7匹との新生活がスタート。この日が保護猫たちと共に駆けぬけた22年の人生のはじまりでした。
子育てに大奮闘!
大家族を養うために、趣味も遊ぶ時間もゼロの多忙な生活へ大激変。
目があいた子猫たちの目にうつる世界は、全てが楽しいおもちゃ!みんなで走り回り、お水をひっくり返して、壁紙をやぶって、カーテンを登って毎日楽しそう。
私は夜も目が離せず、母猫と協力しながらも子育ての大変さに死にそうでした笑
初心者ならではの大失敗も幸せの一部
すっかり立派に成長した子猫たちの避妊・去勢を順番にしていく中で…まさかの…発育不全が不憫で後回しにしていた2匹での妊娠が判明…!
初心者で性別を見分け間違えたのと、人気の動物病院の予約がなかなかとれず全匹完了するのに時間がかかったのもありましたが、結局のところ自分の勉強不足の甘い判断が引き起こした事態に呆然…。
それでもやがて元気な5匹を無事に出産。猫たちと二人三脚での子育て、ドキドキと感動、新たな責任感、色々な想いで胸がいっぱいの日々でした。
12匹との楽しいリビングルーム
7匹+5匹=12匹になったわが家
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食費と医療費で家計は火の車。
知人にはじめて譲渡もできました。
当時はSNSなどの繋がりもなく、里親詐欺で猫の虐待のニュースを聞いて全匹最後まで自分で飼おうと思い、猫たちが広く暮らせるように二階建てのかなりレトロな借家へお引越ししました。
職場から1時間20分と遠く、夜の帰り道は女性には危険で怖かったですが、愛するにゃんずがお迎えしてくれる、仕事で不在の間は先輩猫が子育て参加をしてくれる、そんな幸せな
『猫と過ごすリビングルーム』
がそこにはありました。
子猫を保護、13匹に
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川崎市の宮崎台でトラックの交通量が多い大通りに子猫がよちよち歩きで横断しているのを発見、緊急保護!
※この『ガブちゃん』は後に両親のもとへ、病気ちで亡くなるまで生涯幸せなニャン生でした。
知人が事故で亡くなり愛猫を託され、
14匹に
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寂しかったね、うちにおいで。
助けられたとき
さようならのとき
後悔しないための動物病院の選び方。
保護活動をしていると避けられない
『さようならのとき』
わが子を亡くしたつらい想いを何回するのかと…このお仕事の一番つらい場面です。かかった病気別のスペシャリストを何十件も歩き回って探しました。
今は信頼できる院長先生に定期往診をベースにお願いしながら新規開拓もしており、中には不必要な検査で14万、通院月70万という病院も近隣に発見。
里親様に情報提供して良い病院をご紹介させて頂くのも私達のお仕事、そうして里子をお守りしていくサポートは大切です。動物病院の選び方は大切なので近日中にあらためて書きますね。
のら猫たちを虐待から守れ!
ボランティアで地域猫活動スタート
仕事の関係で東京都港区へお引越し。
職場近くと近所とダブルで猫の毒殺があり、虐待の対象になっていた外猫を守るために深夜まで見回りを数年間続けました。
新鮮な水、ごはん、薬、雨風をしのぐ場所もなく、酔っ払いにいやがらせをされたりと過酷な環境の野良猫たち。
のら猫も飼い猫も同じ命、幸せな飼い猫との落差を目の当たりにし続けた数年間は、ゆるぎようがない貴重な体験になりました。
東日本大震災の福島レスキュー隊へ
たくさんの命が奪われた福島の津波、原発事故。
『避難所でのペット同伴は認めない』
という政府の方針で、家族さえ置き去りにされている現状に愛護団体の代表と仲間と共に福島へ。寒さで体にホッカイロを10枚貼り、2時間の仮眠で30時間以上をゴーストタウンで女性3人で走り回りました。
おうちに置き去りにされ、ごはんが食べれず極限状態におかれた飼い猫たちが共食いをして頭部がない写真、何回も車に轢かれて紙のようになっていた道路犬の写真など、ネットで見た方もいらっしゃると思います。私達もワゴン車に乗るだけの頭数しか保護できずに泣く泣く置いていった猫たちの姿は忘れられません。
動物の7億円以上の義援金の行方
助かるはずだった命
当時、7億円ほど集まっていた被災動物の義援金が配分されず保護チームは大混乱に。
シェルターでも、莫大な医療費、維持費、労力は限界で、狭いスペースに100匹という異常な過密状態でレスキューした猫たちもストレスで亡くなっていきました。
併せて安楽死ではない方法で牛の殺処分を強要された牛飼いさんが自害されたり、福島でも放射線が低い場所に、犬、猫、牛、豚など種別に合わせた住環境の整備(プレハブ、柵など)を作り管理をすれば横暴な殺処分を防げたはず。
義援金🟰命綱
告発までされ、国も獣医師会も、義援金の管理をはじめ襟を正して頂きたいと思います。
気力、体力、資金も限界の中でレスキューした猫たちが目の前で亡くなっていく…そんな悔しい思いをたくさんしました。
人も動物も、全ての命にご冥福をお祈り申し上げます。
原発の真下にいた2匹を家族に
川崎、埼玉のシェルターでボランティアをしながら、原発1㎞以内で保護された2匹を家族に迎えました。
ミンミンはすぐにお腹に大きな腫瘍ができて天国へ、いしぼうは7年後には癌でミンミンのもとへ。
おとなしくて何に対しても無反応で食も細く…それはずっとお腹が痛かったんだよね。そんなミンミンに寄り添っていたいしぼうは、
『仲間がごはんを食べたあとで自分は大丈夫です』という心身共に美しい王子様でした。
深夜に神様からのエール
夜空にあまりに美しく輝く巨大な光の羅列、
くっきりとした輪郭に、
壮大な回転する曼荼羅。
11月2日の深夜3時頃、眠気で涙目をこすりながら地域猫活動中に…神様に出逢えました。
無償の愛をもつ動物たちを神様からかわいがられてるのでしょう、そして動物を守る人も、同じく守ってくださるのだと天のあたたかさを感じました。
保護活動は不眠不休で、1年間で2日しか休みがとれずにいた私にとっては最高のご褒美とエールでした。
自己紹介②に続く
世界最大、ドイツの保護施設『ティアハイムへ』
保護猫サロンCAT LIVINGでは仲間を募集しています!東京都内でも数少ないレスキュー・受け入れに挑戦し続けており日々真剣に取り組んでいます。
命を扱う責任あるお仕事なのでプロフェッショナル』な人を輩出していけるような会社として新規事業もあわせて業界の改革へ挑戦していきます。
スタッフ•ボランティア募集
🐈キャットシッター、動物看護師
⚪️やりがいのある仕事で生きていきたい
⚪️殺処分ゼロへ
⚪️業界の改革
⚪️保護猫と保護猫に関わる人の地位の向上
⚪️人も動物も同じ命の権利を与えたい
🐈ボランティア募集
•猫のお世話 ・お客様対応 ・POPや資料作成
•簡単な事 ・SNS、動画編集
など得意な分野でご協力頂けたら嬉しいです。
アクセス・詳細は、ホームページのお問い合わせフォームまたはcatliving222@gmail.com
までお願いいたします。
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