見出し画像

重度の知的障害とは

2020年12月

あきひろは20歳の時(2011年)に障害の区分がA(重度)からB1(中度)になった。知的障害だけだと重度でなければ、受けられる支援はとても少ない。20歳の時に受けた検査や面談の結果から中度になったという説明を受けたが、納得がいかなかった。

人は教えられなくても、言葉を獲得して学んで生きていく。言葉を獲得できず、自分の意思が伝えられないということは、人にとってとても大きな障害ではないだろうか。社会の一員として、言葉を発しない人を排除するのではなくて、言葉を持つ側が、その意思を聴き取ることに、最大限努力するべきではないかと私は思っている。

私があきひろに教えてきた言葉は、普通の人が持っている言葉の量と比べたらずっと少ないし、とても教えきれるものではない。あきひろは、その少ない言葉を使って、一所懸命にやり取りをしている。その意思を汲み取るには細やかな支援が必要だが、制度によって受けられる支援は、知的障害に対してあまりに少ない。

今回再判定を申請して、あきひろと一緒に大阪府障がい者自立相談支援センターに行った。障害の判定をするために、親が書き込むチェックシートがある。身辺自立、移動、意思交換、生活文化、家事職業の各項目ごとに行動が書いてあり、はい・いいえ・不明のいずれかに丸をつける。

その中に「予定の変更などでパニックになり、暴れたり騒いだりすることが30分以上続く」というものがあった。そのような状況の時、何もしなければ30分以上続くかもしれない。けれど多くの親や支援者が、そういう状況にならないように、なってもできるだけ落ち着けるようにと、どれだけ努力を払っていると思っているのだろうか。

それらの項目にチェックをして、判定員さんからの質問に答えているうちに、はい・いいえでは答えられない、あきひろが困らないように、不安にならないように、家庭や就労支援施設で支えることが習慣となっていることに気づいた。

そうやって出来ていることで、支援が削られるのはおかしい。言葉で理解できなくて、言葉で伝えられなくて、とても困っているあきひろに対して、人の支援が何より必要なのだと、私は訴えていきたい。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?