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「親を諦める」という経験

 私は同じ年代の人間より、20年くらい精神年齢が幼いと感じる時がある。親との関係なんかがそうだと思う。多分、これから書くことは、ほとんどの人が高校生くらいにぶつかって、悩んで、思うことなのではないかと思っている。

今でいう「毒親」

 私はいわゆる「毒親育ち」に近いと思う。毒親エピソードを聞くと、我が家はまだマシだなと思わされることもあるが、それでも私は親から愛されて育ったという記憶はないし、自分のことはAC(アダルト・チルドレン)に当てはまる部分がかなり多いと感じている。対人関係が著しく苦手なのは親の影響が多分にあると感じているし、自分の存在価値を感じられず、親の気引きたさに自殺未遂をしたこともある。ちなみに父が過干渉のモラハラタイプ、母は無関心のネグレクトタイプに、私には見えていた。本人たちは違うというだろうが。

 大学まで出してもらったことは、感謝している。だがそれ以上でもそれ以下でもなく、私はとっとと自立してしまいたかった。だからあえて実家から300km以上離れたところに就職して、家を出た。休みのたびに帰省するのも嫌だったが、親と絶縁したいほどの拒絶感があるわけでもなく、関係を悪化させるよりはマシという中途半端な感情で帰省していた。それがよくなかった。

 実は父については、私の中ではもう整理ができている。大学4年の時に、ちょっとした事件が起こり、それをきっかけに父は私の中で死んだことになった。ここにいるのは父ではなく、知らないおじさんだと思うことにした。そして私が家を出た後、その事件を起点に亀裂が入っていた両親は離婚した。
 それ以降、父がどこで何をしているのか、全く私は知らない。戸籍上は今でも親子なので、さすがに死んだら連絡が(警察から?)入るだろうと思っている。だからまだ生きてはいるのだろう。特に興味も関心もないが。

 問題は母である。
 母は、いまだに私が母のことは(父とは違って)好きでいると信じているようなのである。「お前のお父さんがああだったから、お父さんは、お父さんは」と何かあるたびに母は口にするが、それと同じくらい私が母に対しても傷つきを抱えていることに、母は気づいていない。自分は違うと思っている。それが私はひどく腹立たしかった。
 私は一年前にストレスから体調を崩して仕事を辞めざるを得なくなり、帰っておいでという母の言葉に甘え、世話になることになった。この時、一度は断ろうと思った。だがつまらない意地を張るのも限界があった。本当にあの時は生きるか死ぬかの瀬戸際だったから。だから、あの時私が母の世話になろうと思ったのは、無理やり転職するかあるいはこのまま野垂れ死ぬよりは、母と暮らす方が幾分マシかもしれないくらいの気持ちで、いわば諦めにも近かった。だが母は、私が母を好きだから母を頼ってきたのだと思っていたようだ。
 私はその勘違いがどうしても気持ち悪くて、この一年の間、ことあるごとに「母のことを好きなわけではない。私は母から大切に育てられてきたという実感を持っていない。あの時やこの時に母に言われたこういうことが私はすごく嫌だった。そんな母をどうして信用できると思うのか」と母に当たった。その度に母は私を「ひどい」と詰り、泣いた。お金をあげるから出て行ってとも言われた。私はそうなるたびに、「こうやってお互いの本心をぶつけ合うことを私は子供の頃にできなかった。だから今それをやる必要が少なくとも私にはある。その先に関係の変化があるかもしれない」と母を説得した。
 だが、私は自分が大きな勘違いをしていたことに、ようやく気づいた。

「いつかはわかってもらえるのではないか」という幻想

 自分でも、なぜわざわざ本当のことをわからせようとするのだろう、と疑問に思っていた。当面はここで母と暮らすのだし、勘違いさせておいた方がお互いメリットが大きいはずだ。
 考えたり、人に聞いたり、自分で調べたりしていて、ようやく気づいた。私はどこかで母に「わかってほしい」と甘え、「こうやって伝え続ければ、いつかはわかってくれるんじゃないか。自分が悪かったと反省し、私が望むように私を扱ってくれるようになるんじゃないか」と信じ、期待していたのだと。それは、私が母を諦められていなかったということにつながる。
 自分にとって母親というものは「私を理解する存在」でなければならないと思い込んでいたのだと、気づいた。母なりに私を大事に思っていたとしても、「私のほしい愛情」でなければ意味がなく、母は子供が受け取れる愛情を与えるのが当然だと思っていた。私が楽になるためにはその思いを捨てることだと、気づいた。

「親への幻想」の押し付けを捨てる

 母の持つ「子供への幻想」に苛立ち、現実を見ろと私は言い続けてきた。だが、私もまた「親への幻想」を捨てられていなかったのではなかったか。
 親を諦める、という言い方は露悪的かもしれない。だが、「母も母なりに私のことを愛してくれていたんだなと理解する」みたいな気持ちの悪い綺麗事には、私はとてもたどり着けそうにない。ただ、諦めることならできそうだ、と思えた。親だと思うから、正確には「親なら理解しろ、私を正しく受け止めろ、私の傷つきを認めて反省しろ」という思いがあるから、拗れるのだ。
 たとえばこれが職場の同僚なら、自分のことを正しく理解されていなくても、苛立ちはするかもしれないが、それをわざわざ本人に伝えようとは思わない。もし業務に支障が出るようなら、その部分を訂正するまでだ。親も同じだと思えばいいのだと気づいた。それをもし寂しいと思う人がいたとしたら、その人もきっと親子の関係に幻想を抱いている人なのだろうと、私は思う。人間と人間なのだから、親子だって別に他人と変わりはない。愛着に問題がある関係だったのは不幸な出来事だが、それを「親子だから」という理由で皆が皆、解決できるわけではないということだ。

諦め

 それがわかるきっかけになった出来事がある。
 SNSで知り合った人に、母と何回目かの大喧嘩をした時、その話をした。その人は私の「いつかわかってくれるんじゃないかとどこかでまだ思ってるから、こうして喧嘩してしまうんですよね多分」という発言に「(親は)そんなのわかってくれないよー」と言ったのだ。何気ない一言だったが、私はなぜかその時「そうか、わかってはくれないものなのか」と、ストンと落ちた。
 これが、冒頭で「ほとんどの人が高校生くらいにぶつかることではないだろうか」と言ったことになる。「親とは自分のことをわかってくれるもの(であってほしい)」という幻想が幻想であることに気づき、「いや、自分が間違っていた。親だって自分のことはわかってくれないものだ」と諦めてゆく。それがきっと反抗期なのであり、反抗期が終わる時の心境なのではないかと、反抗期らしい反抗期を経験しないまま中年に差し掛かってしまった私は思う。
 これまで、「私という人間」を分かってもらいたいあまり、必要もないのに好きなこと嫌いなことを主張したり、自分の考えを話したり、それに反論されるとムキになったりしてきた。でもそれも昨日で終わりだ。自分と母との間に必要なのは、円滑に共同生活を送るための言葉や行動であり、逆に言えばそれでしかない。そこにはわざわざ傷付けると分かっていてあえて本心を話すことも、いちいち自分の価値観や考えを説明することも必要ない。それは全て「理解してほしい、受け止めてほしい」という気持ち、ひいては「母なのだからそうして然るべきだ」という思い込みがそうさせるのだから。
 今後、私の「他人と快適な関係を築くためにする気遣いや言動」を、母はきっと「私が母を思うからすること」と勘違いするだろう。実際はもう私の中に他人と母の区別はなく、その基準は言うなれば職場の同僚にどう振舞うかということと変わらないのだが、それをわざわざ訂正する必要はもうない。

終わりに

 親との関係に葛藤を抱えたままでは、先に進めないという漠然とした思いがあり、親と向き合えば、分かり合えればそれを乗り越えることができるのではないかとどこかで期待していた。だが、それは間違っていたと今は思う。「親(に分かってもらうこと)を諦める」ことで、私は前に進んでいくのだろう。その意味では私は今ようやく本当の反抗期を迎えたのかもしれない。この記事を書くことで、私の幻想をここに供養する。

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