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GOTCHA!とアカシア:BUMP流の「キミにきめた!」

ポケモン & BUMP OF CHICKENのスペシャルミュージックビデオとして2020/9/29にYouTubeで公開された「GOTCHA!」。勢いがすごいです。公開後1週間で1000万回再生を達成しています。すさまじいですね。

このMVで流れている曲は、BUMP OF CHICKENの「アカシア」。一言で言ってしまうと、BUMP OF CHICKENが「キミにきめた!」を訳したらこうなったよ、という曲だと思います。ここでは、主に「アカシア」の歌詞に注目しようと思います。歌詞を解釈するにあたり、著者の妄想が多分に含まれます。ご注意ください。

透明よりも綺麗な あの輝きを確かめにいこう
そうやって始まったんだよ たまに忘れるほど強い理由

曲の冒頭部の歌詞です。MVではBUMP OF CHICKENのメンバーと思われる4人が線路の上を歩いています。YoutubeのMVのコメントにもありますが、これに似た場面は、映画「STAND BY ME」にも登場するようです(参考)。そして初代ポケモンの赤・緑で主人公の家のテレビに映っているシーンでもあります。(旅の目的は大きく違いますが、)旅に出るという点では、ポケモンの主人公と重なる象徴的なシーンです。「アカシア」の歌詞にも、転ぶ、冷たい雨に濡れる、足音、足跡など、旅を連想させる言葉が出てきます。

「そうやって始まったんだよ」は誰かに呼びかける言葉ですね。同じくBUMP OF CHICKENの曲である「魔法の料理」に、

君の願いはちゃんと叶うよ 楽しみにしておくといい

という歌詞がありました。この曲は、「いまの自分が過去を回顧し、その時の自分へメッセージを送る」という内容だと思うのですが、「アカシア」にも似たものを感じます。もう少しいうと、冒頭部では「僕」はすでに「輝きを確かめ」ていて、その時点から過去を振り返っている、という感じでしょうか。

太陽の代わりに唄を 君と僕と世界の声で

個人的に、ここの歌詞が大好きです。「太陽の代わりに唄を」。同じくBUMP OF CHICKENの「Aurora」に出てくる

お日様がない時は クレヨンで世界に創り出したでしょう

という歌詞を思い出します。お日様や太陽がある種分かりやすい幸福の喩えであるのに対して、「アカシア」にでてくる「唄」や「Aurora」にでてくる「クレヨン」は、太陽とは違うオルタナティブな幸福を暗示しているように思います。

そして、ここではじめて「君」と「僕」が出てきました。BUMPの曲では、二人称が「君」だったり「あなた」だったりしますね。「天体観測」、「Ray」、「魔法の料理」あたりは君、「花の名」などはあなた。

今 目が合えば笑うだけさ 言葉の外側で

言葉の外側。このフレーズから、君と僕は同じ言葉を持っていないことが窺えます。ポケモンとトレーナーの関係ですね。笑い合うではなく笑う。トレーナーがポケモンに微笑んでいる絵が浮かびます。

ゴールはきっとまだだけど もう死ぬまでいたい場所にいる 
隣で (隣で) 君の側で 魂がここだよって叫ぶ

サビに入りました。君と僕はゴールのある物語の途上を生きている。輝きを確かめるという目的のある物語ですね。いまいる場所は、ゴールに向かう途上のはずです。なのに、「もう死ぬまでいたい場所にいる」と言います。ゴールに向かいながら、でもここは死ぬまでいたい場所である。魂が叫ぶほどに、ここにいたい。ここの矛盾が面白いと思います。
 旅はゴールに向かうための方法でありながら、旅自体が自己目的的なものになっている。ここでは、ゴールに向かうという旅の目的は忘れられていません。ただその目的と同様に、達成までの過程(=旅)それ自体も、「僕」にとって重要な目的なのだろうと思います。

泣いたり笑ったりする時 君の命が揺れる時 
誰より (近くで) 特等席で 僕も同じように 息をしていたい

君の命が「揺れる」。君とはポケモンのことでしょうから、ポケモンの命が揺れるわけです。思えば、ポケモンのひんし状態って「死に瀕する」の瀕死ですよね。ポケモンの世界では、ポケモントレーナーは自分のポケモンを戦わせます。「トレーナー同士目があったらバトルの合図」というやや理不尽な習慣を、新米トレーナーは他のトレーナーから何度も何度も教えられます。ただ、バトルをするポケモンを見ているトレーナーは、特等席にいる気持ちなんじゃないか、とこの曲はいうわけです。ポケモンバトルはポケモンの晴れ舞台ということでしょうね。

2番の歌詞もすごくいいんですが、MVでは1番からラストサビに飛びます。

そして理由が光る時 僕らを理由が抱きしめる時

冒頭で、「たまに忘れるほど強い理由」として、透明よりも綺麗な輝きを確かめにいくことが挙げられていました。「僕ら」を理由が抱きしめるとき、といっているので、そのまま読むと「君」と「僕」で理由にこれ以上ないくらい近づいた、輝きを確かめられるくらい肉薄した、ということでしょう。ここで、旅の当初の目的を僕らは果たしました。

 でも、歌詞はそこで終わりません。

誰より (近くで) 特等席で 僕の見た君を 君に伝えたい
君がいる事を 君に伝えたい 
そうやって始まったんだよ

ここの「そうやって始まったんだよ」は、曲の冒頭部にも登場しましたが、文脈に沿ってみると、冒頭部とは少し異なった意味をもつのかなあと思います。

 冒頭部では、透明よりも綺麗な輝きを確かめるという理由で(旅を)始めたと唄っていました。一方最後は、特等席から見た君を君に伝えたい、君がいることを君に伝えたいと言った後に、「そうやって始まったんだよ」と続けています。

 旅を始めたのは輝きを確かめるため。これが1つ目の理由ですね。一方、曲の途中で「ゴールはきっとまだだけど もう死ぬまでいたい場所にいる」というフレーズが出てきます。「輝きを確かめる」以外に、僕には旅をする理由があったのかもしれない、旅自体が自己目的になっているのかも、と先に書きました。もう一つの目的を窺わせる言葉は曲の中で様々な形で現れていますが、ラストサビに出てくる「君がいる事を君に伝えたい」というフレーズが、それを端的に示していると思います。

 輝きを確かめるための旅で気づいたこと、つまり「君がいる」ということを、言葉の外側にいる君に伝えること。

 これが、僕が旅の本来の目的(=ゴール)を果たした後に、旅をする理由になるのだろうと思いました。はじめは一緒に輝きを確かめるための仲間として。これからは君がいることを伝えるための対象、相手として。殿堂入りして、王者になって、旅のゴールを迎えても。わたしたちゲームを遊ぶ側が、一時ポケモンから離れてしまっても。ポケモンはこれからも「僕」のそばにいるということなんだと、わたしは思います。

最後の「そうやって始まったんだよ」が流れているとき、MVでは長く続く道を、そして線路を人が歩いていくシーンがあてがわれています。このシーン、ポケモンとトレーナーの旅はまだまだ続くよ、というメッセージを感じて、胸が熱くなりました。


今回のMVを見て、ポケモンをまたやりたくなったという人、多いんじゃないでしょうか。わたしもその1人です。このMVを見れて本当に良かったです。とりあえず今は、10月23日(金)の「冠の雪原」配信を楽しみにしています。

***

P.S. 書くスペースがなかったのですが、MVの中でホップとバイウールーが映るシーン(1分42秒あたり)があって、ちょっとウルっと来ました。Youtubeで公開されているポケモンアニメ「薄明の翼」第3話”相棒”で、ホップとウールーの絆に焦点をあてたストーリーが展開されています。それを見ていたので、このシーンを見たとき「あのウールーがここまでホップと一緒にたどり着いたんだなあ・・」とジーンときました。もしよろしければ「薄明の翼」もご覧ください!

(ねこやなぎ)


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