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リゾームのように書いてみること:書くことは難しい⑧

書くことが決まっていませんが、とりあえず書き始めました。土曜日、お風呂から上がって、眠る前の時間から、書き始めます。お風呂は、書くことに向いていますね。そして長い連休の終わりは、何か書きたくなります。締め切りとしての効果ですかね。

不思議なタイトルだと思うでしょうか。リゾームとは地下茎、根茎という意味です。こんな風に書き始めたのには理由があって、近頃発売されたばかりの「ライティングの哲学」という本の影響です。

7月14日に購入予約をしていたのですが、発売当初には手元に届かず、火曜日に本を受け取る予定で、まだ読んでいません。ただ、著者の千葉雅也先生、そして読書猿さんの著書はいくつか拝見していて、またTwitterも興味深く見ています。

千葉雅也先生は、「勉強の哲学」で、教師の役割は有限化なのだと書かれています。勉強を進めるとき、どこまでやったらよいのか分からないと、続かない。ある程度、権威主義的になり、あの先生がここまでと言ったのだからとりあえずそこまでやってみよう、この人がこう言っているからここまでやってみよう、という有限性が、勉強には必須である。また、「勉強の哲学」の制作過程を記述し、制作論に焦点を当てた「メイキング・オブ・勉強の哲学」では、ノートの有限性を利用して、自由にアイデア出しをし、アウトラインプロセッサ(Workflowyなど)で分析的に読み、整え、またノートでそれをほぐし、文章を作っていくという手法を示していました。Twitterにて、締め切りは文章作りを助ける、締め切りという切断によって、文章がある種、えいやっ、と完成する、それに身を任せるのも大事だ、ということをおっしゃっていたように思います。

わたしは書くことが苦手です。また他人とノリよく話すことが比較的苦手です。この2つは繋がっている、と直感的に思います。

書くこと、ノリよく話すことが苦手になった原因は、たぶん、小さいコミュニティ内での恋愛です。傷つき、また他人を傷つけたとき、その痛みを上手く誰かに話すことができず、また話してはいけない、そうすべきではないと思っていました。その葛藤の中で、他人のノリに合わせる体力が減っていきました。

恋愛は、集団の秩序を乱す点で、どうしても他人に迷惑をかけます。自分が未熟だった、という視点から見ると、いくらでも反省はできます。いくらでも自己否定ができる。でも、それを続けていると、本当にしんどいです。神経症的になる。自分で自分を許せない。他人に頼ることも、自分が許さない。傷つき弱った自分を引き連れていると、普通に生活するだけのエネルギーしか残りません。日常を見ると、傍目には、穏やかで落ち着いたように見えるはずです。でも、それは自分の粗探しに全力を注いで、疲れていたからだと思います。

迷惑をかけないような恋愛ができるかは、やっぱり時の運というか、偶然に大きく左右されると思っています。どうしてある恋愛が失敗したかは、反芻や省察、あるいは自己否定、自己批判といった態度以外に、九鬼哲学でいう「原始偶然」を念頭に突き詰めることもできます。
私たちが目の前に四葉のクローバーを見つけた時、なぜこのクローバーが四葉なのか、については、いくらか理由をこねることができます。でも、他ならぬこのわたしの前に、今、この四葉のクローバーが現れた理由が分かるでしょうか?なぜ1年前ではなく今なのか?なぜ1人のときに現れたのか?
物事には、因果を遡っていくと、どうしても因果では説明しきれないところが出てくる。それが、「原始偶然」だと九鬼はいいます。恋愛も同じはずです。なぜ他ならぬこの相手が、このタイミングで、この私の前に現れたのか。なぜ今なのか。1年前ではなく、1年後でもなく、今である理由は何か。その理由は、やっぱり、分からないのです。ここらへんの話は、「なぜ、私たちは恋をして生きるのか」という本を参考にしています。

適当に、リゾームに書くというのは難しいですね。第一、勢いに任せ、自分の中の権力と距離を取りながら書くことは、怖いです。自分の中の権力とは、例えば、
起承転結を明確に
文末を工夫して
適度に難しい語句を入れて
テーゼを決めて
エビデンスを重視して
‥などなど。こういう、書くときの規範性が無数にあって、それによってわたしは、落ち着いて書くことができていました。この規範に従っていれば、恥は書かないだろう。受け入れてもらえるだろう。そう思っていました。

それらを外したとき、書くことは、足場がなく、どちらに進んでいいのか分からない、不確かなものになる。緊張する。呼気に力がこもります。

なぜなんでしょう。理由は、欠如が表に出てしまうのを嫌がっているから、だと思います。自分の出来ないところを他人に見せるのが恥ずかしい。
そして、欠けているところを見られるということは、「これができるようになりたいんだろうな」と、他人に思われることだと思います。もう少し正確にいうと、他人がそう思っている、と自分が思うわけです。他人の目を意識することで、自分の中にあった欲望を、無意識に沈んでいた欲望を、引っ張り出される。そのout of controlな感じが、まだ慣れません。

金曜日の夕方に、車で15分くらいかけて、近くのカフェに行きました。窓が大きく、外がよく見える。木製のふちの白い塗料が剥げかけて、木のささくれが夕日を眺めている。田んぼの稲は青々としていました。そろそろ中干の季節でしょうか。暮れていく夏の空をぼーっと見ながら、何を食べようか考えていました。

季節のタルトがブルーベリーだったので、それにしました。ブルーベリーがジャムっぽくて、生地に染みこんでいる。タルトを頼むときは、サクサクのタルト台を食べるのも楽しみです。

一緒にレモンスカッシュを頼みました。ウィルキンソンのガラス瓶と、グラスにハニーレモン。すっぱいのが苦手で、炭酸水も苦手なのですが、レモンスカッシュは飲めます。夏の味です。

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明日からお仕事です。4連休は、特に旅行などもせず、休養寄りの過ごし方でした。水曜日の夜に医学書院の「居るのはつらいよ」を読みました。途中まで読んでいたもので、やっとこさ最後まで読みました。正直に書くと、読み終えて、つらくなりました。

ケアってなんでしょうか。学生時代、周りからの疎外感を感じていた時期に、ケアについて考え始めました。医学書院のケアをひらくシリーズに出会って、ケアを考えるときはこのシリーズの本を読むことが多くなりました。

居るのはつらいよ」に、会計の透明な光によって、ただ「居る」ということが失われてしまう、とありました。予算があり、使途があり、便益や費用がある。会計によって、他の組織はどうやっているか、目的はなにか、手段は、リソース量は、結果は、改善点は‥‥と、逐一「見える化」される。その根底にあるのは、「そのままでいいの?」「現状維持でそんなところに居ていいの?」という、効率化の光です。透明で、冷たい。胸がつまって、背中に気持ち悪い汗がじっとりにじむ。手が冷たくなって、腕全体をさすってしまう。そういう居心地の悪い冷たさのある、透明な光が、会計の視点にはある。

わたしは財務の仕事をしているのですが、体感として、これが分かります。そして、これが抗い難い流れであることも、残念ですが、分かります。

諦めるとは、何かが明らかになり、スッキリすることでもある、という言葉を聞いたことがあります。見極めがついて、ああ、これ以上は無駄だ、と諦める。ということでしょうか。その側面も、確かにあります。でも、と言いたくなります。でも、明らかにならないまま、諦めることだって、ある。なぜそれが起きるのか、なぜ何もできないのか、なぜ苦しいのか。分からないまま、諦めることだってあります。だから、諦めるにはグラデーションがある。やーめた!ときっぱり、さっぱり諦めることもあるし、考えることをやめ、目の前の体のケアをしながら、生活に退屈し、それでも生活する。そういう諦めも、あるんだろうと思います。

仕事でつくば市にきて、ほぼ3年が経ちます。新卒で就活に失敗して、第二新卒で入ったところです。入ってぼちぼち働いて、もう3年になります。何とか、続いています。

その3年のうち、コロナが一年半と思うと、なんだか大変な時代になってしまったなと思います。旅行にも行きづらくなったし、実家にも帰りづらくなりました。仕事中はいつもマスクです。そもそもリモートワークが全然進んでいない。マスクは暑いし、口周りが荒れる。日常にある小さなストレッサーが増え、しかもコロナにかかったら‥‥という未来に対する悩みも、無意識にあると思います。特に身体が不調なときに、平常時よりも、落ち込みが長く、ダメージも大きいです。

哲学者のハイデッガーは、「ひとは言う、死は確実にやってきはするが、しかし当分はまだやってきはしない、と。」と言いました(参考)。日常の、目の前の緊急な用事は、死はあらゆる瞬間に可能であるということを、隠蔽してしまう。日常とはそういうもので、わたしは大丈夫だ、今までも大丈夫だったのだから、大丈夫だ、という思いがあり、生きていける。そこにトートロジーや帰納法の間違いがあったとしても、生きるためには、そのジャンプが不可欠だと思います。でもこれが、すごく難しいんですね。難しいと思ってしまう時代に、わたしたちは生きているんだと思います。

とりあえず一通り書きたいことを書きました。今、日曜日の18時前です。晩ご飯は、昨日の残りの夏野菜カレーにします。4連休が終わりに近づき、少し憂鬱です。午前中、明日からの朝ごはんの買い物と、無くなっていた無洗米を買いに出かけ、あとは外出の予定はありません。長くなって気になっていた髪も切ってさっぱりしました。明日からもぼちぼちがんばります。


(ねこやなぎ)


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