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10月になりました

すっきりした秋晴れの日です。台風は関東にかすっただけでした。

写真は、ハニーマスタードチキンプレートです。
チキンの皮目をフライパンで15分くらいパリパリに焼いて、ひっくり返して1,2分焼いて、おしまい。蜂蜜、マスタード、レモン汁でソースを作って食べました。簡単で美味しいので、定番になりつつあります。

関東はここしばらく国の緊急事態宣言下にあって、住んでいる県も蔓延防止の扱いでした。出勤しつつ週2回程度リモートワークをする、という仕事の流れができていました。

そんな中、9月は引っ越し準備の時期でした。一回り大きいお家に引っ越すことになります。食器洗い乾燥機を買うので、ちょっとわくわくしてきます。洗い物が楽になるといいな。
他の家電も含めて、値段やらサイズやら機能やら調べて、近くの電気屋さんへ足を運んで、やっとこさ決めました。

コロナ禍になってからもう1年半も経つんですね。驚きます。外出時は常にマスクをして、帰ったら手洗いうがいをする生活にも慣れました。

今年度も半年が過ぎました。この半年は変化が大きかった。業務が変わって、人付き合いが変わって、身近にPCRの話が増えて、東京は感染爆発して、ワクチンを打って、引っ越しをしようとしている。

わたしは、どちらかというと神経質な人間なので、変化すると疲れます。人より疲れやすいかもと思います。最近はその疲れを自覚できるようになりました。疲れに目を向けられるようになった。

この9月末で、社会人になって満3年が経ちました。あっという間です。

働くことに慣れたのかもしれませんが、今は、頭がフル回転するような忙しい時期でも、帰ったらわりとすぐ眠れます。でも就職活動をしていた頃は、面接前日に想定問答が頭の中をわんわんして、眠れませんでした。夜は将来のリスクや過去の失敗が襲ってくる時間で、全く安心できなかった。自分の過去と、社会の求める像をどう整合させるか。そもそも社会って何を求めてるんだ。そんな問いばかりが頭をぐるぐると回り、眠ることを妨げていました。


眠るといえば。社会人になってやって良かったことの筆頭に、寝る環境の改善があります。敷布団で寝ているのですが、マットレスを少し良いものにし、カーテンを遮光一級にし、クーラーで除湿をし、読書灯を買いました。

寝る前のストレッチもやっと習慣付いてきて、学生の頃に比べると、格段に眠れるようになりました。眠れるだけでこんなに気分が違うんだ‥とびっくりするくらいです。昔は、眠れない夜には必ず嫌な記憶の反芻が始まって、休むどころではなかった。何をおいても、眠ることが大事なんだと痛感しています。

知的体力は眠ることでしか回復できないと思っていましたが、少し認識が変わりました。確かに回復するためには睡眠が必要ですが、眠れない夜にネガティヴにならないようにすることも、知的体力を消費しないという点で大事だと思います。空回りする頭から、今、目の前にある身体に目を向けること。リスクに気を配るよりも、体に気を配る。

大学院~社会人の初めは、以前なら出来ていたそういう「自分に目を向ける」行為ができなくなっていたのですが、3年経って、やっとそれができるようになってきました。

そろそろ新しいことを始めたい気持ちでいます。この一年は生殺しでした。コロナの情勢を常に気にしなくてはいけない、と思うようになってしまったし(これも自分の人生を自分でコントロールしたいという傾向の現れですね)、リスクに対して神経質な行動をとるという傾向が強まってしまった。


色々勉強したいのですが、統計検定をやってみたい。仕事では全く使わないので、趣味ですね。大学院でRを、卒業してからPythonを遊びで触っているので、その延長でやってみようと思っています。軽く調べた感じでは、とりあえず「統計学の時間」(これ)から始めようと思います。時間くらいしかコストがかからないし、段階で整理されていて進捗具合もわかりやすいです。達成状況が分かりやすいと、勉強はしやすいですね。

文章を書く環境を整えるのも課題です。引っ越しをする予定なので、書くための部屋をどう模様替えしていくか、楽しみです。あとは、引用の管理やメモ書き、サイトのクリップ等々のためのPC内環境です。EvernoteだったりWorkFlowyだったりKakauだったり、いわゆるアウトライナーと呼ばれるものを試してみたい。今はそれらをあまり使わずに書いています。


あと、これが本当に重要で、自分の大きな課題なんですが、スマホ断ちです。

暇なときについスマホを見てしまう。目的意識が無いときでも、です。「つい」見てしまうというのは、何かしらスマホに用があって、それが終わった後に、惰性的に、SNSや動画アプリを見てしまうんですね。日課として、時間を確認したり、毎日見ている動画の更新を確認したり、タイマーを使ったり、体重計アプリに記録をしたりする。その後に、惰性的に、しかもそれなりに長時間、画面から離れられなくなる。

なんというか、精神的にそうせざるを得ないときもあります。スマホが、現実に対する膜として、レイヤーとして機能するときです。「ふれる社会学」という本にそんなことが書いてありましたが、スマホによって、現実から距離を取ることができる、という側面がある。ただ、距離を取れても、常に刺激は受け続けている。画面から刺激を受ける。そうすると、それは自分の外側にある、ネット環境というヴァーチャル・リアリティに身を任せているということで、自分の内部(これも言語で構成されたヴァーチャル・リアリティですが)へは意識が向かないわけです。例え体が疲れていて、頭が痛くて‥と、体から何かしら信号が出ていても、それを受け取ることはできない。スマホの画面から受け取る刺激を、ただ受け取ることしかできない。

それの何が問題なの?というと、行為の最中、苦しいんですね。自分の中にある深刻な退屈から、何とか目を背けようと画面を見続けて、でもその退屈は、変わらずあり続ける。それが苦しいんです。

なので、スマホから少し距離を取りたいと思っています。どうすればできるかは、おいおい、考えます。待っていれば、考えの進むタイミングが来るでしょう。


夕方に、ゴミ捨てのために外に出たら、背中に感じる日差しが温かく、久々に、穏やかな陽光を感じました。コロナの感染具合の落ち着きと無関係ではないでしょう。この一年は、やっぱりずっと、気を張ってました。

夕方の日差しが田んぼを照らす。改めて田んぼを見ると、気づかないうちに稲穂が実っていました。金色に光る、ぴかぴかの田んぼ。小さい頃から身近に田んぼがあったので、ああ、今年も秋がくるんだなと嬉しくなります。たしか「その日暮らしの人類学」という本に、円環的時間の言及がありましたが、自分のバックボーンには、田んぼを介して、そういう感覚が刻まれているなあと思います。

今年も残り3か月。あと1/4ですね。ここまでよく生きました。ここからも、のんびりやりたいと思います。

(ねこやなぎ)

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