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オッペンハイマー感想

ネタばれ注意

こちらの日記には現在公開中の映画の内容を含めた感想を書き込んでいます。
まだ見られていない方、これから見る予定のある方は以下より読み進まない事をお勧めいたします。
お手数をお掛けしますが何卒よろしくお願いします。

見てきたぞ

4/6。クリストファーノーラン監督の作品が狂うほど大好きな僕は「これだけは映画館でリアルタイム視聴したい!」という願望を叶えるべく映画館に見に行きました。

ノーラン監督と言えば、空間・時間を操る貴公子。TENETやインターステラー、インセプション等の過去作品では、従来の映画作品では描かれなかった時間や空間的な常識を覆す描写が特徴的で、今回はそれに結び付くように物理学者に関する物語なので公開前からドキドキしていました。

SNSで僕より前に観てきた人間曰く「これ以上に濃い3時間を経験することはできない」という伝言を頂いていたので、ハードルはかなり高めに設定して見に行ったのですが、それを軽々と飛び越えてオッペンハイマー選手は大気圏に突入していきました。

あらすじは割愛させていただき、今回は色褪せないうちに感想を書きなぐろうと思います。

天才的な理論とそれが活用される場所のジレンマ

オッペンハイマー博士は一般的な知的感覚を超越した部分まで物事を整理する力を持っており、それを物理的な観点から紐解いていく事に喜びを感じ、時には眠れないほど悩み、それを研究に昇華させる生活を送っていきます。

言わば彼にとって研究職というポストは天職とも呼べるものでした。
彼の明晰的な講義や論文は評判を呼び、カリスマ的な人気を勝ち取っていくことになります。

研究職の下、望むがままに物理の謎を解明していくことができれば幸せだったのですが、時代は第二次世界大戦の最中。軍事開発と研究開発の親和性が高いこともあり、軍から物理学の知識を爆弾の開発に活用して頂けないかという依頼が彼のもとに届きます。

ナチスの抑止力となる核開発を行ってほしいと頼まれ、自身の物理学の知識が戦争の終結を導けるのならばという観点から、彼は爆弾製造計画の主任を承諾することになります。

研究を進め、実用として導入されることが決まり、実際に使用されたという時間推移を通じて、オッペンハイマー自身が望んでいた戦争の終結を原子爆弾の開発という手段で導いた背後にあった「損害」の存在を目の当たりにします。

本来なら物理の理論を用いて戦争のない平和な世界を作る協力をするはずだったのに、実際には爆弾が使われたことによって、新たなる核競争の時代を生み出してしまい、望みもしなかった甚大な被害が生まれたことで彼は衝撃的な精神的苦痛を感じてしまうことになります。

作中で描かれていた彼自身のフラッシュバックや幻覚、動揺する様子が生々しく、見ていてドキドキしました。

研究に一途な事が、実際に実践上で爆弾を使用した場合にもたらされるリスクを過度に遮蔽してしまい、戦争の抑止力というメリットに強くテコ入れをかけてしまった部分や、原子爆弾を作成しえる論理的思考力があった点、軍と結びついて強い実行力がついてしまったという本人、社会的な要素がオッペンハイマー自身を苦しめてしまったという部分が感じられました。

最後にアインシュタインがオッペンに語り掛けたあのセリフ、それに応じる形で彼が答えたセリフが当時の学者が抱えていたジレンマを痛切に表現していたと思います。

空間だけでなく登場人物までもひっくり返してきたぞ

今作もメメントのように時間軸が複数存在し、白黒の場面(1950年代)、戦後のオッペン(1946-1949年代)、回想のオッペンの半生(1930-1945年代)、という三つの世界線を交互に登場させることで物語の全貌を明らかにしておりました。

この中でも僕がノーラン節だと感じたのは、物語の序盤と中盤でストローズの立場が逆転するシーンと、それに伴って公聴会の在り様が変化したシーン。

序盤ではストローズは彼に協力的で紳士的な立場を示しており、歴史的な背景に対する学が浅はかだった僕は好印象に捉えていました。しかし物語が進んでいく毎に彼との関係性や出来事が明らかになっていき、彼の企んでいた内容が明らかになっていきます。

その瞬間から彼に対する見方とオッペンハイマーに対する感情の入り方がい一気に逆転します。

序盤ではオッペンハイマーの生涯を客観的に見届けようと意気込んでいたのに、気が付けば僕が彼自身の立場に感情移入してしまっており、オッペンと同様に動揺したり悩んだりしてしまっていたのが印象的です。

また、白黒映像になっているのが時代でいうと一番最後という部分が上手過ぎる!白黒になっていると、どうしても過去の出来事のように思えてしまうステレオタイプな考えを持っている僕は、終盤にかけてパズルが組み合わさるように時間軸が整理されていった快感で昇天しそうになりました。

さすがです。もう一回観たい。うん。

大いなる力には大いなる責任が伴う時、本人はそれを理解できないことがある

オッペンハイマーは結果的に原子爆弾の開発に協力したことになりますが、それは単に人を殺めることを目的としていません。しかし、戦争の抑止力という形で使用されることになれば、多大なる被害が及び、核開発が激化するのは明らかだったと思います。

なぜそこが止められなかったのかという問いに関しては、この映画を見る限りはオッペンハイマー自身が持つ影響力を彼自身が完全に理解できていなかったという部分が強いのではないかと映画を通じて感じました。

作中何度も、彼が影響力を持っているという点で釘を刺される描写が何度もあり、オッペンハイマー自身もその話を聞いてはいたのですが、後になって振り返ると、彼自身が思い込んでいた自分の影響力と、実際に有していた影響力の乖離が大きかったという面が非常に強く感じられます。

しかし、戦時中である点や複数の物理学者が集まって研究が進んでしまった点から、そこに気が付くタイミングが崩されてしまった結果、後に戻れない状況になってしまったといった状況だと考えられます。

これは現にいうカルト宗教や独裁主義の世界でも考えられることなので、自分が持つ影響力や利害関係といった部分を冷静に検討する大切さを学びました。

時代背景の描写

戦時中と戦後の市民や政府のオッペンハイマーの処遇、レッドパージが苛酷に行われていた点等、世論が当事者に強く作用してしまうという面が痛切に描かれていたのが印象的でした。

これに関しては歴史の授業や文献で学んだ内容ではあったものの、実際どのような社会背景だったのかといった部分を身をもって学べたので、かなり風当たりが強かったんだなと実感しました。

ノンフィクションフィクションだからこそ多様な解釈が出来る

僕自身はまだ若く戦争を経験した方々とはかなり年が離れていることから、当時の出来事や体験は客観的な解釈と学習で「そうだったんじゃないかな」という程度で感じるに留まります。

しかし、当時爆弾を落とされた現地にいた方々や、親族に経験者がいらっしゃる方々、当時アメリカに在住されていた方々等がこの映画を見ると、また違った解釈をされるのではないかと思っております。

これは何が正解かという事は結論が出せず、それぞれの解釈が答えになってくるものだと思うので、様々な年齢層や立場の方々の感想を見ているととても興味深い印象を受けます。

原子爆弾の父ではなく、オッペンハイマーはオッペンハイマーである

映画を通じて思ったのはやっぱりこれですね。肩書、彼が成してきたこと、それに伴って生じた影響は色々あると思うけど、彼の生き様は3時間では足りないほど濃く凄まじかったので圧倒されました。

本作のあらすじは、マンハッタン計画(トリニティ計画)に関する話題のみが触れられていたけど、ふたを返すと彼と彼を謀ろうとする人間との攻防の凄まじさも見えて滅茶苦茶見入ってしまいました。

まとめ

もういっかい見せて❤






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