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猫のわがままを許せるか?〜猫から学んだ「良い」わがまま〜

「わがまま」は何も悪いものではない。人間関係を良くし心を楽にするわがままもある。猫はその達人だ。猫の振る舞いから良いわがままを学ぼう。

猫はわがまま

猫は基本的にわがままだ。自分勝手で好きに振る舞っている。

あなたは犬派だろうか?猫派だろうか? 猫のわがままさを好きだろうか嫌いだろうか?


私は昔は犬派だった。猫のわがままさを許せなかった。好き勝手なことをしても、かわいいからと許される、そんな甘えた猫のことも、猫を甘やかしちやほやする人たちのことも許せなかったのだ。

しかし猫を飼ってみて、猫が許せなかったのは、私の嫉妬だったことがわかった。私には許されないわがままを、猫は許されていた。

しかし猫はかわいいから許されるのではなかった。もちろん猫をかわいいからと許す人もいるだろう。しかし猫のわがままさは、ただの不快なわがままさではなかったのだ。


猫は確かにわがままである。しかし相手を思い通りに動かそうという支配的なわがままではなく、「自分は自分、相手は相手で思い通りやれ」という個人主義的なわがままだ。

猫は自由を相手にも保証する。会社や親に抑圧されてうつ病になっていた私には、新鮮で心が楽になる態度だった。

ナナから学んだ心が楽になる生き方

私が初めて飼った猫はナナと言う名のメインクーン種のメス猫だった。ナナは非常にプライドの高い猫で、嫌な事は嫌とはっきり示し、我慢しない。意に染まぬことには爪を振るってでも立ち向かう。

そんなナナの態度に親はしつけを諦め、ナナはそういう猫だから、と受け入れていた。

親や会社、他者の言うことは聞かなければいけない、NOと言うのもひどく恐縮していた私には、それが衝撃だった。

そのわがままさは猫だから許されるのだろうか? いや、そういう権利は誰にでもあるのだろうか? NOを示しても他者を不快にしないのだろうか?

猫のNOは「猫だからね」と許されている。私もきっぱりとNOを言うようにしていれば、「ヤマネコさんだからね」と済まされるようになるのだろうか?

頭で考えれば、NOを言う権利は私にもあるような気がした。だから、ナナを見習って、とても怖かったが試してみた。

人にNOを言ったとき、最初は軽く扱われたり、今まで言うことを聞いてきただけに、不愉快を示されたこともあった。それはとても怖かった。しかし同時にNOを言った自分が誇らしい気がした。他人より自分を優先し、自分を大切にした気がした。

人はNOを言う権利がある。すっきりと毅然と言えば、存外に受け入れられるものだ。猫の態度からそれを学んだ。


また、猫は甘えたいときには甘える。ダメならダメでスッと引く。猫に甘えられるととても嬉しくなる。頼られ好かれている感じが伝わってくるのだ。引き際をわかっているので嫌な感じもしない。猫は甘え上手だ。

私は人に頼るのが苦手だった。だからナナをまねて、これもまた怖かったけれど、人にお願いをしてみる経験とした。頼ることは悪ではない、頼られることも嬉しいことだと自分に言い聞かせながら。

そうすると自分が恐れていたよりもずっと、人は快くお願いを受け入れてくれた。人を頼るのは迷惑だという考えは、私の頭の中で勝手にできたもので、現実はそんな事はなかった。

会社で仕事を抱え込んで辛くなってしまう私だったが、少しずつ人を頼れるようになった。

気がつくと私は猫派になり、少し生きやすくなっていた。

キャット・メディスン

猫の生き方は、うつ病の私に力をくれた。ナナの存在そのものに癒されただけでなく、ナナの振る舞いから心を楽にする多くのことを学んだ。

ネイティブ・アメリカンの人たちは動物から生き方を学び、それをアニマル・メディスンとして人生の智慧とした。ナナから私が学んだことは、まさにキャット・メディスンだった。

猫から学ぶことは、抑圧されがちな日本人にはたくさんあると思う。

もし猫が飼えなくても、その習性を研究して、生き方に生かすことができる。

抑圧されて心が苦しい人は、猫から学ぼう。

猫の正しいわがままさを、身につけられる人が増えたらいいなと思っている。

楽しんで頂けたなら幸いです。ご寸志、受け付けております。