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少女の夢の始まり



豪快でやんちゃでただひたすら自分の欲望を満たす事が得意な幼少期。こんな子が我が子ならどれだけ頭を抱えた事だろうかと考えただけでもぞっとする(笑)が、私がお菓子の虜になったのはきっとこの頃だろう。

私の家は小さな町の"商店"。
いわゆる"何でも屋さん"

生肉、鮮魚、青果、お惣菜、パンに飲料、日用品、そして駄菓子を含めたおやつ達♡

幼稚園から帰ると一目散にお店に行き、今日のおやつを選ぶ。当時100円分のおやつを選んで良いとなっていて数十種類あるおやつの棚から
100円でいかに楽しいおやつタイムを仕上げられるか今日のラインナップを吟味する至福時間。目の前に並ぶいく種類ものおやつに心躍る幼い頃の私(ここで私は選ぶ楽しみを知ったのでしょう)

先にも話した通り、活発ではちゃめちゃな少女だった私。神聖なミサの途中祭壇で駆け回るような罰当たりな事もしました(神様ごめんなさい)時には男の子とだって喧嘩したし体に怪我がない日はない程。。。顔面ズル剥けて帰った日の両親の表情を…覚えているかと言えば実は何も覚えていないのです(笑)そんなどこまでも自分本位な私。

私の家は、母の両親との二世帯住居。獣医だった祖父と商店を切り盛りしていた祖母、父はエンジニア、母は祖母が経営していた商店のお惣菜担当で早朝から働く共働き夫婦。そして年の離れた2人の姉。父は出張も多く、帰宅も日を跨ぐので顔を見れない事も多々。
そんな中でも、母の毎日の手料理と手作りお菓子には今思い出しても幸せすぎる思い出。
あの多忙な中、家族のお誕生日は勿論、進級進学お祝いや、ピアノの発表会お疲れさま会、何か頑張ったらそのお祝いにと兎に角家族を労ってご馳走で祝ってくれる母でした。
そんな母の姿を見てか、2人の姉達も良くお菓子を作っていました。卵やバターの甘い香りが家中に広がり焼き上がりをワクワクして待つ食べるだけの妹にきっと不満はあったでしょう。ま、その頃の私に気付けるわけもなく出来たてのお菓子の美味しさだけが記憶に残っています。
そして月日は流れ、私も母や姉達と同じようにお菓子やちょっとしたご飯を作るようになっていきました。それがどんなに不味くても、不恰好でもインスタントの炒飯の素を混ぜただけのモノでも"美味しい美味しい"と言ってくれた母達家族や、従業員さん達。そこで自分で作ったもので誰かが喜んでくれる喜びも知ってしまうのでした。 
そこから30数年、優柔不断で飽きっぽい私が唯一変わらず共に歩んできているのが
私のお店"casuelle rencontre"で日々行われるお菓子作りなんです♪…ってただ今絶賛骨折休業中ですけどね。。。

最後まで読んでくださりありがとうございます次は留学までのお話へと続きます。

#パティシエ休業中
#夢の始まり
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