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『ニッケル・ボーイズ』 コルソン・ホワイトヘッド

この小説はフィクションだが、実際の出来事がベースになっている。フロリダ州にかつてあったドジアー男子学校での凄惨な虐待と死の隠蔽である。

秘密の墓地がみつかったとき、自分も戻らねばならないと彼は悟った。テレビリポーターの肩越しに映るヒマラヤスギの木立を見ると、肌にひりつくあの熱気が、ハエの羽音が蘇ってきた。それほど遠く離れているわけでもない。遠くはなれていられることはありえないのだから。

小説は、その少年院(作中では「ニッケル校」)での虐待を生き延びた一人の黒人男性の現在から始まり、過去の出来事が語られていく。

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アメリカ南部に暮らすエルウッドは、頭の良い生真面目な少年だった。
時代はまさに公民権運動が盛り上がりを見せていた60年代初頭。エルウッドはマーティン・ルーサー・キングの演説のレコードを四六時中聴いて、熱い思想を培っていく。
精力的な活動家でもある高校教師と出会い、デモ行進にも参加するようになったエルウッドは、優秀な高校生が無料で大学の授業を受けられるプログラムに入ることになり、まさに上昇する未来への気流に乗らんとしていた。
ところが、自転車が壊れているためヒッチハイクで大学へ行こうとしたところ、たまたま拾ってくれた車が盗難車で、道中でパトロール中の保安官に見つかってしまうのだ。
まさに不運としか言えないこの出来事によりエルウッドは逮捕されてしまう。当時、黒人の少年に無実を訴える術はなかった。
そうして送られた少年院ニッケル校で、彼に過酷で壮絶な運命が襲いかかるのである。

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ニッケル校は壁も有刺鉄線もなく、外見上はきれいないい学校だった。そこには600人以上の生徒がおり、白人生徒は丘の下、黒人生徒は丘の上に行くことになっている。
そして丘の反対側には、通称“ブートヒル”、恐ろしい墓地があった。

それまで耳にしてきたこととはちがい、ニッケル校はほんとうに学校であり、少年用の恐るべき監獄ではなかった。運がよかったよ、とエルウッドの弁護士は言った。車の窃盗は、ニッケル送りになるにはかなりの重罪だ。ほとんどの生徒たちは、もっと軽く、不明瞭かつ不可解な罪でここに送られているのだ、とエルウッドは知ることになる。なかには、家族がおらず州が後継人になっており、ほかに入れる場所がないという理由だけで、送られた少年たちもいた。

しかし、他の少年の体に残った不気味な傷や、初日の夜に耳にする謎の轟音は、すでにエルウッドに不穏を伝えていた。

清掃の作業中にエルウッドは倉庫のような細長い平家を見つける。その建物を囲んで草が生い茂っているのを見て、エルウッドは仲間の少年たちに、「あれも刈ったほうがいいのかな」とたずねる。すると少年たちは生唾を飲み込んで、そのうちの一人が言うのだ。
「あのな、あそこは連れていかれるところで、自分から行くところじゃない」

ここに足止めされてはいるが、できるだけいい経験にしよう、とエルウッドは自分に言い聞かせた。それと、なるべく短い経験にしよう。故郷では、落ち着いていて頼れる人間だと周囲には思われていた。ニッケルの人たちもすぐにわかってくれるだろう。

しかし、速やかに卒業しようという計画通りに、事は運ばない。
生徒間のいじめの現場に割って入ったことで喧嘩沙汰の関係者とみなされたエルウッドは、懲罰のために「ホワイトハウス」に連れて行かれる。あの倉庫のような建物だ。

すぐそこに、正面扉がある。逃げ出そうかとエルウッドは考えた。逃げ出しはしなかった。学校の周囲に塀も柵も有刺鉄線もないのは、逃走する生徒がほとんどいないのは、この建物のせいなのだ。ここが、少年たちを囲い込む塀なのだ。

描かれる虐待の場面は痛ましく、理不尽さに言葉をなくす。
そこは明確な体制も基準もなく、見境のない悪意と暴力が支配する世界だった。

しかし痛めつけられながらも、前向きさを捨てないエルウッドは、この地獄から抜け出したらまた高校に戻り、改めて大学に入ろうと希望を持つ。

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ニッケルから出る方法のうち、脱走は最も確実性の低い方法だった。過去に脱走を試みて失敗した生徒の恐ろしい話も語り継がれている。
他には、3つの方法がある。地道に刑期を務め上げる。魔法のように奇跡的に裁判所が減刑の決定をする。死ぬ。
そしてエルウッドは、5つめの脱出法を思いつく。

「ニッケルをなくせばいい。」

エルウッドは、州の視察団がやってくる時をチャンスに、虐待の実態を告発する手紙を渡す計画を立てるのだが。。。

最後の最後で明かされる事実に、それまでの思い込みが覆されて全身が総毛立つ。
重要な主題を持つと同時に、小説として素晴らしい出来の作品だ。

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ひとつあるということは、何百とあるということだ。何百とあるニッケルとホワイトハウスが、痛みを作り出す工場のようにこの地に散らばっている。

そしてそれはとりもなおさず、永遠に消えない痛みを抱えた何千何万という人間が生きているということだ。

アメリカの黒人と白人の間に無理解と暴力の大きな溝があったのは、たった一世代二世代前の話。
それはつまり、今もまだしこりは消えず、困難は見えにくくはなっても続いており、憎しみも悲劇も過去のものとはなっていないということでもある。
そして、「痛みを作り出す工場」は、アメリカの黒人問題に限ったことではない。
いじめに家庭内での虐待、労働の搾取に終わらない紛争。。。私達の世界には気が滅入るほど多くの悲劇があふれている。
そして一度与えられた痛みは一人の人間の中で永遠に消えはしないのないのだ、ということをこの小説は伝えている。