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儚い光

『儚い光』 アン・マイクルズ

善良な心と知への情熱を持つ人々の美しい物語。

本書は二部構成になっており、一部ではナチスの迫害を生き延びた少年ヤーコプの人生が後年の彼の手記によって語られ、二部では、一世代下の語り手が、すでに亡くなったヤーコプに向かって語りかける形で、人間、癒えない傷、愛について内省する。

ナチスの手で家族を殺され、一人生き延びたヤーコプは、ギリシャ人地質学者アトスに助けられ、アトスの故郷であるザキントス島の家に隠れて大戦を生き抜く。

ワルシャワ、ベルリン、パリと同じように、ギリシアの小さな島でもユダヤ人が苦しんだ。ヤーコプが人から伝え聞いたり読んだりしたという形で挟み込まれるユダヤ人迫害の場面には目を覆いたくなる。
しかしヤーコプは、賢明なアトスによってしっかりと守られ、戦争が終わると2人でカナダに移住する。

心に受けた傷が癒えず、夜には悪夢にうなされるヤーコプ。また、死の瞬間を見届けることもできなかった姉の亡霊も、生涯彼から離れることはなかった。
そんなヤーコプに学問的な知識を惜しみなく分け与えるだけでなく、傷ついた心を気にかけ、人生の道を優しく腕を取るように導いたアトス。
しかしそのアトスもまた、第一次大戦で妻を亡くした過去を持ち、時に鬱に襲われるほどの苦悩を抱えていた。

2人の支え合いは、重苦しい時代の辛い運命の中にあって神聖なまでに美しい。

「わたしはきみのクンバロスに、代父になって、きみやきみの息子たちの結婚式で介添え役をしてあげるよ・・・わたしたちはお互いを支えあっていくんだ。そういうことができないのなら、わたしたちは人間と言えるだろうか?」

「わたしたちは葡萄の木と葡萄棚のようだった。しかし、どちらが葡萄だったのか?わたしとアトスはちがったふうに答えたにちがいない。」

「朝、アトスは机についていた。例によって仕事の途中で眠ってしまったように見えた。わたしは力いっぱい何度も何度も抱きしめたが、彼は目をさまさなかった。細胞のひとつひとつにできてしまった空虚はどうすることもできないのだ。彼の死は静かだった。海に降る雨のように。」

ヤーコプは学者であり詩人であるという設定だが、このヤーコプの言葉を作り出した作者自身が、素晴らしい詩人である。
出会い、別れ、喜び悲しみが、全編にわたり錬金術のように美しい言葉で紡がれ、読者の溜息を誘う。

第二部の語り手は、ヤーコプの親友の教え子であり、ナチスのサバイバーを両親に持つベン。
大戦から一世代下の語り手には心情的にも寄り添いやすく、文章も第一部よりも読みやすいが、内容は重い。

ナチスの迫害を生き延びてカナダ移民となったベンの両親は、生涯強迫観念に囚われたままだった。
そのことから、ベンは、両親との間の壁を越えられないことに苦しみ、両親と上手に心を通わせているように見える妻にまで複雑な鬱屈した感情を抱く。

そんなベンが、ヤーコプが最期に暮らしたギリシャの家に一人赴くことで、人生の舵を切りなおす新しい発見をする。

主人公たちはホロコーストに人生を奪われ、傷つけられる。
が、これは愛の物語でもある。
ヤーコプもベンも、悲しみを背負いながらも、かけがえのない愛を手に入れる。
人間は儚い。人間の愛も儚い。だが、その儚い光は人生をあたたかく包む。