見出し画像

『悪の誘惑』 ジェイムズ・ホッグ

2世紀も前のヨーロッパのゴシック小説など退屈だろうと思うなかれ。嘘のように引き込まれる作品だ。
読み始めたら止まらない面白さとは、本書の序文でもアンドレ・ジッドが熱を込めて述べているが、同時代人のジッドにあらずとも、読み出したら止まらなくなってしまう。

本作は三部構成になっており、1824年の発表当時からおよそ百年前に起きた出来事について書くという体裁になっている。

まず第一部では、ある兄弟の身に起こった奇怪で不幸な事件が物語られる。
17世紀末のスコットランド。
ある地方の領主の元に、グラスゴーから年若い娘が嫁いでくる。
しかし二人は正反対のタイプで、結婚初日から凄まじい反発が起こり、新婚早々、領主館内での別居生活とあいなってしまう。
妻は妄信的と言えるほど信心深い改革派のキリスト教徒。対して夫は神も人をも小馬鹿にした享楽的精神の持ち主であり、別居後すぐさま愛人を館に入れる有様である。
ここに、妻の信心の友である厳格偏執の牧師が加わるのだが、語り手である「私」の、妻と牧師ペアに対する皮肉な書きぶりが楽しい。
この第一部は全体的に洒脱な文体であり、ところどころ喜劇的な場面も挿入され、ゴシック小説のゴツゴツした重苦しさは感じられない。

さて、超絶不仲の領主夫妻だが、すぐにめでたく二人の男児を授かる。
第一子は領主の名を取りジョージと名付けられて父親の元に引き取られ、第二子は夫人の元に置かれることになり、名は牧師の名を継承してロバート・ウリンギムという洗礼名を付けられる。
(この二児の誕生にまつわるベールに包まれた事情が端的に示唆された文章が、これまたシニカルで洒落ている。)

男らしく紳士的な若領主として伸び伸び成長したジョージと、厳格で狂信的な宗教教育をほどこされ、父と兄に対する悪口を吹き込まれて育ったロバート。
二人は互いに接点を持たないように(ロバートと母は領事館からグラスゴーに居を移して)育てられるのだが、青年になった二人が偶然(?)出会ってしまうことから、悲劇が起こる。
ロバートがジョージに固執し、悪意をもって執拗に追い詰めたあげく、卑劣なやり方で命を奪ってしまう、そのハラハラゾワゾワする一連の成り行きに、ページをめくる手が止まらない。


ジョージの死の真相が明るみに出ることになって第一部は幕を閉じるのだが、続く第二部はロバートによる手記、第三部は再び語り手による記述という構成になっている。

ロバートの手記は第一部に比べると重々しく毒気が強い。
彼は度の過ぎた自負と独りよがりな思考の持ち主であり、諸々の事実に対する認識が捻じ曲がっていることが、第一部を読んだ上で読むとよく分かる。
自分は「この世から主の敵を一掃するように神慮によって定められた」福音の使者であると思いこみ、狂気の道をひた走っていくロバート。そのそばにいつも現れる不気味な若者に洗脳されていく過程や、第一部では知らされなかった犯罪も明らかになる。
ロバートという青年の狂信には嫌悪の念を禁じ得ないが、狂気または悪魔の毒牙にかかった姿は哀れでもある。

これは、妄信のあまり精神に異常をきたした者の罪と破滅の物語なのか、または悪魔的な怪奇譚なのか。
語り手である「私」にしても、第三部の記述では、常識的な見解を透かして強めの主観が伺われ、そうなると、信頼を持って読んだ第一部の内容もまた客観性が若干疑わしい気がしてくる。深読みせずに読むならば、語り手の結論を真相として納得することもできるのだが、うっすら釈然としないものが残るのだ。

最後まで熱中させて読ませた最後に、手こずる消化という旨味の置き土産。
それこそ悪魔的な見事な逸品だ。